じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] チリ・ボリビア国境から20分ほどボリビア側に入ったところに、ブランカ湖(White Lake 、Laguna Blanca)とベルデ湖(Green Lake、Laguna Verde)という美しい湖があった。標高は約5000メートル。2つの湖は小さな川でつながっており上流側のブランカ湖は無色透明。一部凍結しているため「白い湖」に見えた。下流側のベルデ湖はエメラルド色に輝いていた。エメラルドの色素は有毒であり、生き物は住めないそうだ。
いずれの湖からも、チリとの国境にあるリカンカブール(5960【5930?】メートル。Volcano Licancabur。我々の通称「アタカマ富士」)の雄姿が眺められた。
なお、大サイズの写真は、サーバー容量の関係で1日限りの公開とさせていただきます。


9月7日(火)

【思ったこと】
_40907(火)[心理]血液型差別番組を考える(5)「学校へ行こう」にあきれ果てる

 夕食後に散歩に出かけようとしたら、某家族が、TBS系の「学校へ行こう! 好評血液型カジノ第3弾・スイカの種を飲み込むのはAB型?それともO型?」という番組を見始めた。この日は一日中、台風18号の風雨に悩まされ「また台風か」とウンザリしていたところであるが、血液型差別番組のほうも相変わらず懲りもせずに暴走を続けている。「また血液型差別か?」と腹を立てるのを通り越して、もはやあきれ果てるといった感じだ。

 さて、この「学校へ行こう」という番組だが、番組サイトの過去記録にも残っているように、これまで何度か、血液型差別ネタを取り扱ってきたようだ(9月8日朝時点では8月17日分までしか掲載されていないが、今回の分もいずれ追加されるものと思う)。

 散歩に出かける前に視た限りで得た情報になるが、この番組では、4人のタレントの血液型を、彼らの行動特性から推理するというゲームが行われていた。その手がかりとして、怪しげな「街角調査結果」が3種類与えられており、その1番目は、スイカの食べ方が血液型によって
  • A型:キレイに食べ種はまとめる
  • B型:食べ残しが多く種はバラバラ
  • O型:キレイだが赤身が残っている
  • AB型:種を飲み込んでしまっている
というように異なっているという「データ」であった。残した種がまとまっているのかバラバラであるのか、どういう客観基準で判定しているのか、赤身が残っているとは、どのくらいのレベルのことを言うのか、種をいくつ飲み込んだのかどうやって数えているのか、などいろいろ疑問が上がってくるが、とにかく、ヤラセっぽい分類でカテゴライズされていた。

 2番目の「データ」なるものは、「おばちゃんが家に帰ってくるまで開けてはいけないよ」と言って置いていった箱を開けてしまうかどうかという調査であり、A型は開けない、B型とO型は四分六くらいで開けない、その一方、AB型は「ルールより好奇心が勝り中を見てしまう傾向が高く」、22対3という圧倒的な差で、箱を開けてしまうという結果になっていた。3番目は財布の中身の違いのようだったが、違いは聞き忘れた。




 以上に挙げた「データ」と、それに基づく「血液型あてっこ」のプロセスには、科学的心理学の立場からは容認しがたい基本的欠陥がいくつか含まれている。

 まず、すでに指摘したように、例えばスイカの食べ方をカテゴライズするという時に、どういう客観的分類基準が用いられていたのか示されていない。血液型別の比率の差がでなければ番組が成り立たないという状況のもとで、番組スタッフが主観的、または制作上都合のよいように恣意的にカウントした可能性がある。

 第二に、例えば、「AB型は、箱をあけてしまう比率が高い」という結果が得られたのが真実であったとしても、だからと言って「箱をあけてしまう人はAB型」という確率は、推測に役立つほど高くはないという点だ。これはベイズの公式を理解している人ならだれでも分かる話(こちらの記事参照)。特に日本人における絶対的比率が1割に満たないAB型者を当てるなどということは、AB型者に「他の血液型では絶対に見られないという行動特性」でも発見されない限りは殆ど不可能ではないかと思う。

 にも関わらず、番組自体における「血液型あてっこ」の正解率はかなり高かった。このような高い正答率は常識では考えられない。おそらく、データの捏造、もしくは、番組制作に都合のよい結果だけを寄せ集めた可能性が高い。これを証拠立てる一番の決め手は内部告発であるが、それを待たずしても、とりあえず、興味を持たれた人が、自分のクラスや職場などで、「スイカの食べ方」や「開けてはいけない箱を開けるか」といった調査をして血液型別の比率に圧倒的な差があるかどうかを調べてみれば簡単に分かることだ。番組の「データ」に一致するような極端は偏りは見られなかったという事例がたくさん集まれば、それだけ捏造や恣意的分類の疑いが強まる。いくら娯楽番組でも、偽りや捏造が許されるわけではない。局側も社会的に実証責任が問われることになるはずだ。




 それにしても、血液型差別発言の何と多いことか。タレントたちの「○○型は、いい加減な性格だ」とか「○○型は二重人格だ」という「何気ないつもりの発言」が、該当する血液型者の心をどれほど傷つけるか、番組制作者は真剣に受け止めているのだろうか。

 加えて、子どもたちへの影響も計り知れないものがある。超能力があると信じている人たちの多くは、テレビ番組を通じてそのことを確信していく。後に、じつはあの番組はヤラセであった、あれは手品であったということが判明しても、一度形成された「信念」はなかなか撤回されない。血液型ネタの番組も同様であり、今回のような「データ」の欠陥は、ナイーブな視聴者にはなかなか見破れないものである。

 血液型差別が子どもたちの心に刷り込まれ、それが、学校内でのイジメ、結婚差別、就職差別の潜在要因になったとしたら恐ろしいことだ。人種や民族や性に基づく差別がいけないことは誰でも知っているのに、「○○型は、いい加減な性格だ」とか「○○型は二重人格だ」と言われることがどうして人を傷つける差別でないと言えるのか、我々はもっとこのことへの怒りを表明すべきだ。そろそろ訴訟を起こす時機ではないかなあ。