じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 入道雲。8月に入ってからは不安定な天気が続いており、この日の岡山の合計の日照時間は3.6時間。記録上は「ゼロ」となっているが、僅かながら雨がぱらついた。高梁では36.5ミリ、久世では18.5ミリなど、県北ではかなりの雨量を記録した。


8月6日(金)

【思ったこと】
_40806(金)[一般]映画ファイナルファンタジーの失敗/日常生活とパイプで繋がっている映画こそ感動を与える

 NHK衛星映画劇場で、8月5日の夜に「ファイナルファンタジー」(FINAL FANTASY、2001年・アメリカ/日本合作)をやっていた。その時に録画したビデオを夕食時にちょっとだけ観た。とりあえず、最初の部分についての感想。

 まず映像についての第一印象としては、「なんでこんなに目が疲れるのだろう」ということ。1997年12月16日(火)にアニメーション番組「ポケットモンスター」を見ていた子供たちがけいれんやひきつけを相次いで起こしたというこの事件があったが、まさにそれと同じ症状。目がチカチカしてきて、途中でビデオを停止せざるをえなかった。

 私だけのことかもしれないが、背景を含めて動きが速すぎること、CGによる不自然な顔の表情や動きを追うのにくたびれたことなどが原因ではないかと思う。馴れてくれば大丈夫なのかもしれないが、子どもたちに見せる場合は、要注意ではないかと思う。

 次に、主人公の女性だが、第一印象としては、以前、どっかの国際線の飛行機の中で観たAndrew Niccolのシモーヌ(S1mOne)と、あんまり変わらないなあという感じ。CGという先入観があるためだろうか、なんとなく気味悪く見えてしまう。





 さてこの映画は、興行的には、歴史に残る大失敗作だと言われているようだ。Googleで「映画 ファイナルファンタジー 失敗」というキーワードを入れて検索すると、なんと8340件もコンテンツがヒットする。それらに記された情報によれば、2001年に公開されたこの映画は9月15日の上映からわずか3週間でほとんどの映画館での上映打切り。興行収入は目標にまったく届かず、スクウェアは映画事業より撤退し、2002年3月決算期には最大139億円の特別損失を計上した模様である(←その後の情報は未確認)。いっぽう、同じ年に公開された「千と千尋の神隠し」は、7月20日公開後、11月11日までの115日間のデータで観客動員数2023万1988人、興行収入262億1014万2200円となったという(←最終数字は未確認)。「映画 ファイナルファンタジー 失敗」でヒットする各種コンテンツの中でも、両者を比較する意見がたくさん書き込まれているようだ。

 最後まで観ていないのでストーリーについての批評はできないが、こちらに書き込まれてあった「原作ファンとしてたいへん悔まれる。やっぱり何十時間も費やして、ラストに感動が終結するゲームを2時間に押し込めようと失敗するね。」という意見は、当たっているかもしれないと思う。

 そもそもRPGの感動と、映画の感動は全く違う。RPGの場合は、プレイヤー自身が画面内に能動的に働きかけをする。ダンジョン内移動も、アイテムの選択も、敵とのバトルもすべて、プレイヤー自身の能動的行為であり、その努力の質と量に応じてしかるべき結果(=敵を倒す、経験値を増やす、新しいダンジョンに進める、...)が伴い、強化されていくのだ。それゆえ、ディスプレイ画面の中は、まさに自分が動く世界。ゲーム画面がシンプルで稚拙であったとしても、有効な働きかけができる限りにおいてはリアルであり続けるのだ。

 かつて、私自身も、BASICのプログラムで、簡単な迷路ゲームを作ったことがある。適当な数値と迷路のサイズ値を入力すると、それをシードにした乱数列により迷路が作成される。画面には、迷路内の壁の形が面で表示され、プレイヤーはカーソルキーを使ってゴールを目ざすというシンプルなものだったが、それでも結構楽しめた。当時人気のあったPC9801用の「ドアドア」、「フラッピー」、「倉庫番」なども皆同様。要するに、能動性が保障されている限りは、景色のリアルさはそれほど問題ではないのだ。景色というのは、しょせん、能動的な動きをするときに利用される手がかりにすぎないからである。

 ところが映画となると話は違う。映画は、客席に座ってストーリーを楽しむものだ。その場合でも、「先の展開を予想する」という能動的行為はありうるが、スクリーンの中で自分が動けるわけではない。その分、映像自体の美しさ、リアルさ、スケールの大きさが物を言うようになる。





 もう1つ、これも個人的な好みの範疇かと思うが、私自身は、日常生活と接点のある映画、つまり映画の舞台と現実世界が何らかのパイプで繋がれている映画に感動することが多い。

 そういう意味では「千と千尋の神隠し」は最高傑作と言える。新しい家に引っ越している途中に突然異次元の世界に紛れ込んだという点で、日常世界と映画の舞台となる異次元世界が見事にパイプで繋がれていた。しかもあのアニメでは、異次元世界の中にすら、江戸東京たてもの園に保存されているような懐かしい風景が多数取り込まれていた。

 映画「ハリーポッター」の場合も、異次元の魔法の世界だけが描かれていたわけではない。キングス・クロス駅の9番線と10番線の間の「9と4分の3番線」で現実とちゃんと繋がれているのである。




 以上、あくまで、ビデオの最初の部分を観ただけの感想。土日をかけて最後まで観る予定であるが、とにかく目が疲れるのが困ったものだ。