じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ボタンウキクサ(ウォーターレタス)の花。10年以上前に行きつけの花屋で購入。
購入した時は、牡丹のような花が咲くのかと思っていたが、どうやら、葉っぱの形が牡丹に似ていることからつけられたようだ。

 屋外では冬に枯れるが、室内の水槽ではむしろ冬にどんどん増える(←窓際に日が差し込むため)。放っておくと水槽内が埋め尽くされ、捨てなければならないほどだ。繁殖力旺盛で、日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれているそうなので、増えすぎても、川や沼地に流すのはやめよう。


7月11日(日)

【思ったこと】
_40711(日)[一般]参院選(「夫婦で投票」の心理/出口調査は要らない/2人区と1人区、1票はどちらが重いか)

 7月11日は参議院選挙が行われ、当選者数は、民主50、自民49、公明11、共産4、社民2、無所属5、という結果になった。なお、非改選議席を合わせた議席数は、自民115、民主82、公明24、共産9、社民5、無所属7。感じたことを3つほど。
  • 「夫婦で投票」の心理

     昼間、夫婦連れで歩いている人たちを何度も見かけた。こんなクソ暑い時に、やけに夫婦連れが多いなあと思ったが、よく考えてみれば、皆、投票所に足を運んだ人たちだったのだ。

     そういえば、私たちも朝8時すぎに夫婦で投票所に行った。投票所では、いつも一人で散歩している某教授にお会いしたが、やはり夫婦連れ。奥さんのお顔は初めて拝見した。

     この日に限って夫婦連れが多いのはなぜだろうか。
    • 単純に、投票のために外出者が増えたというだけかもしれない。
    • 選挙に熱心な配偶者(夫または妻)に無理やり連れ出されたためかもしれない。
    • せっかくの機会だから、たまには夫婦で一緒に歩こうということかもしれない。
    • あるいは、全くの見栄で、夫婦で一緒に歩かないと、「あそこの夫婦は仲が悪い」と噂されるためか。
    よくワカランが面白い現象だ。

  • 出口調査は要らない


     20時すぎ夕食後の散歩に出かけようとしたら、各局の特別番組で、まだ開票作業も始まっていないうちか当選確実者の名前が続々と発表された。早いものは20時5分、岡山選挙区の場合も、まだ選管の発表が行われていない20時20分すぎに当確者が伝えられた。

     日記読みにも書いたが、これじゃあ「開票速報」という看板に偽りありだ。当確は、主として出口調査に基づくということだが、そんなことをしなくてもその日のうちには結果が分かる。そんなに急いでどうするのだろうか。

     いちばんひっかかるのはNHKである。出口調査をするからにはアルバイトを雇うお金がかかる。これらはすべて受信料からまかなわれているのである。出口調査のようなものは民放の予想屋番組に任せておけばいいではないか。開票状況だけを確実に報道していただければそれで十分。出口調査をやめて、その分受信料を安くするか、質の高い番組制作に投じろと言いたいところだ。

  • 2人区と1人区、1票はどちらが重いか

     今回の選挙で、岡山選挙区は定員2名から1名に減員となり、現職2名のうち1名は確実に落選するという厳しい状況となった。

     2人区から1人区に減少するということは、単純には、1票の重みが半分になることを意味するように思われる。じっさい、今回の選挙では、江田五月氏(民主)が49万8515票で当選、加藤紀文氏(自民)は34万9219票で落選となった。もし2人区のままであったなら、両氏合わせた85万票近くの声が国会に反映されることになるが、1人区となったことで、加藤氏を支持した35万票は死票。この点だけを見れば岡山における1票は軽くなったと言える。

     しかし、「勢力の拮抗した二大政党制」という枠組みを受け入れた上で考え直してみると、じつは1人区における投票のほうが国政に大きな影響を及ぼすことに気づく。なぜなら、2人区というのは、よほどのことが無い限り、二大政党で1議席ずつ分け合う可能性が高いからだ。この場合、その選挙区の住民は、どのように投票しても二大政党の議席差に影響を及ぼすことができない。自分が投票に行っても行かなくても、結果は変わらないというわけだ。

     いっぽう1人区となれば、その選挙区でどちらが勝つかということは、二政党の議席差にもろに影響を与える。じっさい、今回の選挙では、民主50、自民49というように、民主が1議席差で改選議席内の第一党となったわけだが、これには、岡山選挙区で「民主当選、自民落選」となったことが大きく影響しているとも言えよう。

     これと同じ現象は、入学試験における各科目の配点の大きさと、標準偏差の大きさについても言える。例えば、ある入試の合否判定が、300点満点の総合点で決せられるとしよう。その配点の内訳が、小論文200点、英語100点であったとすると、単純には、小論文のほうが英語より2倍の重みがあると考えられてしまう。しかし、もし小論文における得点の標準偏差(バラツキの大きさ)が10点程度、英語が20点程度であったとすると、この入試は、実は、英語の得点の差で決まる可能性の高いことが分かる。

     なお、以上述べたのはあくまで、二大政党制という枠組みを前提とした場合の考えだ。今後の政局において、二大政党の流れは避けられないとはいえ、もうちょっと党議拘束をゆるやかにして、議員個々人の多様な考えが議決に反映するように変えていかないと、あんなにたくさん議員を選ぶ意味はないと思っている。