じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  サンスベリア(トラノオ)の花が咲いた。花が咲いたのは初めてであり、さぞかし珍しいことだろうとネットを検索したら、園芸相談掲示板のようなところに
  • 毎年、花が咲いてしまうのですが、咲かせない方法はありませんか。
  • アスパラみたいに伸びて、べとべとした液体?雫?のようなものがついて、とても困っています。
  • 残念ながら花の香りは「バナナの腐ったような」...
といった書き込みがあった。花が咲くのはそれほど珍しいことではなく、せっかく咲いてもあまり歓迎されていないようだ。

 なお、花が珍しいと思った観葉植物としては、ドラセナがある(2002年2月9日の日記参照)。


6月29日(火)

【ちょっと思ったこと】

外来語言い換え案、第三弾

 各種報道によれば、国立国語研究所は29日、「外来語のわかりやすい言い換え」案33語についての中間案を発表した。さっそくネットで検索したところ、こちらに概要が掲載されていることが分かった。

 言い換え語(中間発表)のリストはこちらにある。ざっと見渡したところで私に関係がありそうなのは
  • リテラシー:読み書き能力、活用能力
    会議などで「情報リテラシー」などと使うことがあるが、確かに「情報活用能力」、もっと具体的には「情報機器活用能力、及び、情報取捨選択判断能力」としたほうが具体性があってよいかもしれないと思う。
  • ドメスティックバイオレンス:配偶者間暴力
    「家庭内暴力」かと思っていたが、説明によれば、親子間の暴力や虐待との混同を避けるため「配偶者間暴力」としたほうがよいらしい。
  • デフォルト:債務不履行、初期設定
    コンピュータなどの「初期設定」という意味では使っていたが、債務不履行という意味があるとは知らなかった。経済関係で何か変な使われ方をしているなあと思っていたが、正当な用語だったのか。
 このほか、新聞記事では「メセナ」、「フォーラム」、「オンライン」、「データベース」については適当な言い換えを断念。また「ユビキタス」は今後も検討を続けると書かれてあった。おやっ、「ユビキタス」って「遍在」もしくは「いつでもどこでもドラえもん」でよかったんじゃないのか?

【思ったこと】
_40629(火)[心理]「活きる」ための心理学(2)「手段が目的、目標は手段」という発想

 自治体主催の生涯学習講座(4回シリーズ)の出講1回目の内容の続き。

 講義のおわりのほうで、「人生に目的は必要か」というような問題提起をしておいた。これは4回目の講義への準備という意味もあった。ちなみに、私自身は、あまり大きな目的は考えない方がよい、但し、目標を持って行動したほうが「お得ですよ」と考えることはできるという立場をとっている。

 なお、ここでは

●目的:人生の目的/教育の目的/将来の夢
●目標:当面の達成目標/数値目標/目的と目標の違い

というように、「目的」と「目標」を便宜的に使い分けている。この区別、シラバス執筆の際の「学習目的」、「到達目標」といった分け方に一致するものであるが、「目的指向システムデザイン」と言った場合は、上記の「目標」の意味も含まれており、それほど厳密ではない。英語の「purpose」、「goal」、「aim」、「objective」などの使い分けについても厳密に比較検討したわけではないことをお断りしておく。




 さて、ネット上で「人生の目的」というようなキーワード検索をすると容易に気づくように、上位でヒットするのは、宗教団体のサイトばかりでオススメできない。中には、岡大で正体を隠して執拗な勧誘をしている団体もある(但し、五木寛之の『人生の目的』(幻冬舎文庫)の書評サイトもけっこう多いようだ)。

 しかし、しょせん「人生には目的がある」などということは実証できるものではない。「目的が必要」を説く人々もたいがいは、「目的が無いと困る」と言っているだけにすぎない。

 また禁欲主義者のロジックを援用すると、むしろ「目的は少ない方がよい」という結論さえ出てくる。すなわち、禁欲主義者のいう「人間には限りない欲望があり、その欲望を次々と満たそうとする。しかし、欲望が大きくなればなるほど、欲望の達成は難しくなる。欲望の不達成は大きな不快感をもたらす。したがって、幸せで安定した心境を維持するためには、欲望を少なくした方が良い。」という理屈で、「欲望」を「目的」に置き換えてみると、
人間には限りない目的があり、その目的を次々と満たそうとする。しかし、目的が大きくなればなるほど、目的の達成は難しくなる。目的の不達成は大きな不快感をもたらす。したがって、幸せで安定した心境を維持するためには、目的を少なくした方が良い。
と言えないこともない。じっさい、スポーツ選手や冒険家の中には、次々と目標を膨らませていって最後は自滅してしまうケース(←御本人は満足しておられるのだと思うけれど)も少なくない。

 さらに、「人はなんのために生きるのか?」などという実証不能な問いで悩み続けることは時間のムダになるかもしれないし、高齢、さらに痴呆が進んでくると、自分の見つけた「生きる目的」自体の遂行が危うくなるかもしれない。

 以上のような理由から、「人生には目的がある」などといった窮屈なライフスタイルは、少なくとも私はオススメしない。それよりも、「目的があると便利」なのはなぜかというプラグマティックな考えをとり、必要に応じて、達成可能な範囲で目標を立てていったほうが「お得」ではないかと思っている。

 ではどういう点で「お得」なのか。このことは教養科目の授業の中でも話している通りであり、
  • 目標を達成すること自体よりも、そのプロセスにおける努力の蓄積自体に意味があると考える。
  • 目的設定により、個々の行動に伴う結果自体を大きくすることができる(確立操作)
  • 単発の「行動→結果」関係だけでは結果への飽和化(←飽きてしまう)がおこりやすい。
  • 行動に伴って目に見える形の達成が伴うこと、あるいはその行動が目的とする方向と逸していることそれ自体が正の強化子(好子)となっている。
  • 目的を設定すれば、それを邪魔するような競合的な行動(=誘惑)は弱化されやすくなり、ふらつき(=迷い)が減る。
といった点を挙げることができるだろう。

次回に続く。