じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 一週間ほど前からグラジオラスが咲き始めた。グラジオラスは日本の気候によく合っており、ほうっておいても球根でどんどん増える。写真右は、2001年7月上旬に撮影したものであり、その中に、今回の写真の品種と同じ花が移っている。今回の写真も、その時の球根から分かれたもの。


6月23日(水)

【思ったこと】
_40623(水)[一般]「地球環境を考えよう」講演会(1)温暖化だけが環境破壊なのか?

 6月23日の13時15分から、岡山大学創立五十周年記念館で、岡山大学保健環境センター主催の「地球環境を考えよう」講演会が開催された。14時30分からは文学部で会議があったため、前半の内藤正明先生の講演だけを拝聴した。なお、「保健環境センター」というのは、本年4月に「保健管理センター」と「環境管理センター」が統合された新しい組織であり、岡山大学の学生及び職員の健康管理・健康増進並びに環境管理及び安全衛生管理に関する専門的業務を一体的に行い,環境の保護及び安全・衛生の充実を図ることを目的としている。いっぽう、講演者の内藤氏は京都大学名誉教授であり、現在は佛教大学教授、及び、循環共生社会システム研究所代表理事をつとめておられる。循環共生社会に関する内藤氏の論文は以前に拝見したことがあり、この機会にぜひ直接お話を聞こうと、会議の合間をぬって参加してみた。

 さて、この五十周年記念館で行事だが、今回もざっと見渡したところ、80〜100人程度の参加者にとどまった。こちらの記録にある広中先生講演会や産学連携シンポなども同様であり空席が目立った。このあたり、岡大ではどうも、広報活動が不足しているような気がしてならない。また、学生に参加を促すには、ある程度、「参加行動に結果を付加」することも必要であるように思う。単に「こういう面白い話があるよ」と伝えるだけでは学生はなかなかやって来ない。「この講演会に参加して報告書を提出すれば、授業1回分の欠席を帳消しにする」というような特典を与えないと、なかなか腰が重いようだ。

 参加者が少なかったことについては内藤氏は、別に今回に限ったことではない、環境月間の特別行事などと銘打った講演会はたくさん開かれているが、実際の参加者が5〜10人などという場合もザラだと言っておられた。要するに環境問題というテーマは、まだまだ余所事であり楽しみも無く、わざわざ足を運んでくる人は少ないということらしい。

 もっとも、それならそれで、どうやって関心を高めるかという方策を示す必要もあるように思う。行動分析的に言うならば、環境問題に個人が関わろうとしても、その行動に伴って与えられる結果はあまりにも小さく、また不確実である。しかも、自分の生きているうちにしっぺ返しがくるとは限らない。つまり、「意識や関心の低さ」ではない。環境に関わる行動がうまく強化されていないから、もしくは、結果に対する確立操作が不十分であることに本当の原因があると思うのだが、ま、これはまた別の機会に述べることにしよう。

 さて、内藤氏は、1時間弱の持ち時間の中で、次の4つのポイントに沿ってお話を進められた。
  1. 危機予測
  2. 危機の原因
  3. 持続可能社会へのシナリオ
  4. 持続可能な社会の具体像は
 このうち危機予測に関して挙げられた事例は、大部分、地球温暖化と異常気象に関するものであった。確かに温暖化に起因すると見られる異常気象は第二次大戦後に多発しており、CO2削減が直面する最重要課題であることは承知しているのだが、環境破壊問題というのは、もっとトータルな、「住みやすさの必要条件」という点から対処しているべきではないかなあ、というのが私の感想である。

 内藤氏の講演では、「技術の進歩は無限」とするドラえもん仮説は誤りであると強調されていたが、そうは言っても、空中の二酸化炭素を減らしたり、地球からの放熱を促進するという技術だけだったら、なんとか開発されそうな気がする()。しかし、それができたからといって、森林を壊してコンクリートの街並みに変えてしまっても構わないということにはならないと思う。身近な環境の住みやすさを追求しその中で地球全体への影響を考えていくというスタイルのほうが、地球危機を初っ端に挙げて不安を煽るスタイルをとるより、結果的には同じ目的に至るにしても多くの参加者を巻き込めるように思う。

次回に続く。

追記]
 こちらのPDF文書によれば、二酸化炭素処理技術こそが、熱力学と物質保存則を無視した、ドラえもん仮説になっているらしい。