じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] バラの花。今年の春に植えたばかりのせいか、この花壇では一番遅く花をつけた。それにしても、梅雨の時期に連日の青空はどうしたものか。ああ、6月8日に晴れていれば、金星の日面通過が楽しめたものを。


6月16日(水)

【ちょっと思ったこと】

日出が最も早い日、日入が最も遅い日

 こちらの表にも示されているように、一年中で日の出が最も早い時期は、夏至(6/21)の一週間前のちょうど今ごろ、日の入りが最も遅い時期は、夏至の一週間後の6月末頃となっている。このズレについては前にもこの日記で取り上げたことがあるが、一番わかりやすい解説は、たぶん国立天文台のコンテンツではないかと思う。いくつかの要因はあるが、
  • 黄道と天の赤道が23.4度傾いているため、太陽が天の赤道に対して動く速度が一定ではない。
  • 地球の公転軌道が楕円であるため、太陽の日々の進みが一定ではない。
  • 上記の2つにより、南中時刻は、12時ジャストではなく、年間を通して変動する。
  • 夏至、冬至の前後は、南中時刻のズレの効果が大きくあらわれるため、日の出・日の入時刻にも影響を与える。
というのが主たる理由のようだ。

 じっさい、岡山の場合、夏至(6/21)の南中時刻は12時6分、南中時刻が一番遅くなるのは7月19日から8月11日頃で、12時11分となっている。このズレが日の入り時刻を遅らせる原因になっている。逆に、秋になると南中時刻は11時50分前後(岡山)となり、「日入が最も早い時期」が冬至より前にずれ込む原因となっている。

 こうして考えてみると、日の出が早さ、日の入りの遅さ、に関するズレというのは、1日を何が何でも24時間キッカリと定め、時計に縛られて生活している人間だけが感じる、人為的な現象であると言うこともできる。早起きの小鳥たちや朝顔にとっては、夏至の日が最も早い日の出となり、最も遅い日の入になっているに違いない。

【思ったこと】
_40616(水)[教育]情報学環新生記念シンポジウム(4)スペシャリストかジェネラリストか/ジャーナリズムの専門分野

 1日空いてしまったが、6月12日に東京大学・安田講堂で開催された東京大学大学院情報学環・学際情報学府新生記念シンポジウム「智慧の環・学びの府:せめぎあい、編みあがる情報知」の感想の続き。なお以下はすべて長谷川の聞き取りに基づくため、不正確である可能性がある。あくまで個人の感想に過ぎない点を予めお断りしておく。また、リンク先は、先方のサーバーのメンテやurl変更によりアクセスできない場合があります。

 さて、この連載の2回目(6月13日の日記参照)で言及したように、坂村健氏は、「学際性」について
  • Generalistを目指すのではなく、他分野の人と協調して共同作業のできるSpecialistを目指す
  • 3人のGeneralistsを養成しても役に立たない、3人の高水準のSpecialistsこそ必要。
  • 「学際」・「協調」・「分業」を前提とするからこそ、他の分野をパートナーに任せ、自身は専門に集中できる
と述べられた。これは、特定の大学・大学院の教育理念にとどまらない一般性を持った考え方であり、坂村氏が説く「協調分散社会」にも通じるところがあるように見受けられた。しかし今回のパネル討論では、これとは多少ニュアンスの違う発言もあった。

 前回(6/14の日記参照)の最後の所で境真理子氏(日本科学未来館)のお話の一部に触れたが、境氏は、「あなたの専門はなあに?」、スープに例えるならトマトスープ? コーンスープ?(←スープ名は長谷川の記憶のため不確か)と質問されることに関して、「混ざっていても、おいしければいいじゃないか」というお考えを述べておられた。あくまで私個人の感想だが、この「おいしければよい」という発想は、坂村氏の言う「共同作業のできるSpecialist」とは多少ニュアンスが異なるように思う。

 パネル討論はさらに、ジャーナリストの武田徹氏のお話があったが、そこでもまた、

●そもそも、ジャーナリストに(分野名としての)専門は必要か

という問題提起がなされていた。中途半端はいけないが専門的なGeneralistsを目ざすこともあってよいのではないか、ということであった。武田氏はさらに
  • ジャーナリストの専門はジャーナリズムである。
  • 世界はもちろん「分野別に整理」されているわけではない。
  • 領域にまたがり、重層的な構造をなす社会問題の報道に必要とされる学際的な知と分析技術。
といった点も強調しておられた。このあたり、同じ学際性といっても、テクノロジストの共同作業と、社会全体や人間全体をとらえようとする人文・社会系の視点とでは、やはりどこか違うような気がしてならない。ちなみに、心理学に関しても、「人間自体もまた、分野別に整理されているわけではない」という主張が成り立つように思う。6月13日の日記に記したことを心理学に当てはめるならば、

●Generalist養成か、Specialist養成かという二者択一とはしない。
●例えば、10人の心理学専門家を養成するのであれば、その分野だけに詳しいSpecialists 5人、「学際」・「協調」・「分業」に通じたSpecialists 3人、全体を概観しパースペクティブを示すことのできるGeneralists 2人、といった多様な人材が求められるように思う。





 パネル討論の4人目は、中島真也氏の、皮肉たっぷりで迫力あふれる講演であった。中島真也氏は6/12の日記でも御紹介したような、数々のヒットCMの作者として知られている。こうしたCMはいろいろな人がアイデアを出し合って積み上げられていくものであるが、最終的には、自分の力「人間力」を身につけているかどうかが大切というようなお話だった。「人間力」という概念はやや具体性に欠けるようにも思われたが、何と言っても理屈ではなく成果がすべてのCM制作である。その第一人者が発する「人間力」というお言葉には相当の重みが感じられた。

 次回に続く。