じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 梅雨の晴れ間、ミモザの種がパチパチと音を立てながらはじけていた。こんなに種がいっぱいできると、このあたり一帯がミモザだらけになりそうな気がするが、これまでのところ、種から芽が出るところは一度も観察できていない。


6月10日(木)

【ちょっと思ったこと】

「宇宙」を実感する光景

 6月8日の日記で、金星日面通過(太陽面通過)について、
...太陽の表面を黒点のような円盤がゆっくりと移動するだけであって、皆既日食や流星雨のような劇的な現象が起こるわけではない。...直接体験により感動するというものではなく、稀少性や、過去の偉大な天文学者たちの関わりを思い起こしながら味わう、きわめて観念性の高い価値を求めるべき現象であったと受け止めるべきであろう。
と書いた。観念的な価値の高い現象であればこそ、雲越しでもそれほどガッカリしなかったという意味であった。

 ところが、その後、アストロアーツ特集サイトの投稿画像を拝見しているうちに、あれは決して、観念的な現象ではない。皆既日食や流星雨と同様、「宇宙」を実感できる貴重な体験の場であったということに気づいた。

 それを感動的な画像で示してくださったのが投稿画像集4に掲載されていた徳光宏明さんの日の入り間際の写真であった。

 6/6の日記に書いたように、ハレーの時代には金星の日面通過は、地球と太陽との絶対距離を知る上で非常に重要な天文現象であった。そういう、学術的な意味だけから言えば、この現象は始まりから終わりまで見られるほうがよいし、さらに精密に観測するならば、衛星から捉えたほうがよいに決まっている。

 しかし、徳永さんが撮影されたような日没間際の眺めは、衛星から映像や、観測最適地と言われた中東地域では決して決して体験できないものであった。

 この日、もし、全国的に晴れていれば、日本海側、東シナ海側を中心に、全国至る所で「水平線に沈む日面通過」が観察されたに違いない。しかし現実には、あのような光景を体験できたのは、留萌など、ごく一部の地域に限られていたものと思う。徳永さんの読みは見事に当たった。

 ところで、日面通過は8年後の2012年6月6日に、もう一度日本で観測できるチャンスがある。その時こそ仕事を休んで留萌に飛び、「水平線に沈む日面通過」を体験できればと思ったが、これには重大な誤りがあることに気づいた。なぜなら、 2012年6月6日の日面通過は、日本では14時前に終わってしまう のである。晴れさえすれば、太陽の表面を黒点のような円盤がゆっくりと移動する様子は全国どこでも見られる。しかし、「水平線に沈む日面通過」はもはや日本では見られないのであった。

 当日は留学生のための特別授業は行ったものの、正規の授業や会議は予定されておらず、年次休暇を取ろうと思えば取れる状況にあった。「日本では、日面通過が終わる前に日が沈んでしまうので残念」ではなく、「日が沈む間際こそ最高」だった。その重大性に気づいていれば北の空に飛んでいったに違いないと少々悔やまれるが、徳永さんの写真は、それを払拭して余りあるほどの感動を伝えてくれている。