じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] スイセンノウ。かつて用務員さんが丁寧に株分けしてくれたため、定削後の今でも時計台前の樹木の周囲で綺麗な花を咲かせている。


6月2日(水)

【ちょっと思ったこと】

礼文桃岩荘ユースホステル

 6月2日の朝日新聞に「最北YH桃岩荘 2年ぶりに再開 礼文島」という小さな記事があった。「桃岩荘」は昨年5月に裏のがけが崩れ休業していたが、その復旧工事が終わり、6月1日に2年ぶりに営業を再開、この日は全国から20人余りのファンが集まったという。

 北海道と言えば、今から25年ほど前、各所のユースホステルに泊まりながら山登りを楽しんだものである。記事を見て、そのころの思い出が蘇ってきた。

[写真]  昔のアルバムを引っ張り出したところ、このあたりを訪れたのは1978年の夏であることが分かった。まず利尻島・オシドマリのユースを明け方に出発し利尻岳に登頂。その日は最高の天気にめぐまれ、眼下の礼文島はもちろん、遠く、サハリンを眺めることができた(写真右は利尻山頂上にて。背後の平べったい島が礼文島)。山を下りてからは自転車で島内を一周。午後の便で礼文島に到着、その翌日は霧雨模様であったが、「愛とロマンの8時間コース」を単独で踏破し、西海岸のお花畑を楽しむことができた。

 もっとも、私が泊まったのは、桃岩荘ではなく、島の北部にある船泊ユースホステルであった。桃岩荘が名物ユースであることは百も承知であったが、山登り目的で旅行していた私には少々派手すぎて性に合わなかった。もちろん、私とは逆に、賑やかさを求めて桃岩荘に行く若者も多かった。当時の船泊YHのペアレントは、船泊のキャンセル率は全国トップだなどとこぼしていた。船泊の予約者が、旅行中に桃岩荘の「評判」を聞きつけて桃岩のほうに宿を変えてしまうためだと言っておられた。

 ところで、この新聞記事でおやっ?と思ったのは「最北YH桃岩荘」という見出しである。船泊のほうが北にあるのだから「桃岩=最北」は間違いではないかと思ってネットを検索したところ、船泊は1996年10月15日にYHを解約、その後建て替えにより「民宿海憧」として営業しているとか。こちらにYH当時の懐かしい写真が掲載されていた。

 船泊のユースは解約されたようだが、現在の北海道のユースホステル一覧を見ると、稚内に2件ほどユースホステルが営業中であることが分かる。このあたり微妙ではあるが、緯度的にはほんの僅かながら、稚内のユースのほうが北にあるようにも思える。どなたか情報をいただければ幸いです。

 ユースホステルは、大学1年の冬に釧路YHに泊まったのが最初。その後、たぶん200〜250泊くらい重ねた。今はずいぶん様変わりしていると聞くが、今でも「北の国の少女たちと過ごした夢のせつな...」などと歌ったりしているのだろうか。