じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

5月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真]  キバナノバラモンジン。キバナムギナデシコ、バラモンギクとも呼ばれる。こちらのデータによれば、元々のバラモンジンは根を食するために江戸時代に野菜として日本に入ってきたもので名前は「婆羅門の人参」に由来するとか。花よりも、ジャンボな綿毛に特徴がある。


5月31日(月)

【ちょっと思ったこと】

BSEに感染しない牛

 各種報道によれば、キリンは30日、BSEに感染しない牛を遺伝子操作によって誕生させたことを明らかにした。なんでも、遺伝子操作により異常タンパク質『プリオン』を作らない「体質」に変えてしまったとか。6月1日朝の某民放番組では「遺伝子操作というとマイナスのイメージが大きいが、こういうことだったら結構なことですねえ」というようなコメントが寄せられていた。

 今回の研究は、C型肝炎や肺炎、リウマチなどの新薬の開発が目的であり、今のところ食肉用に転用する計画はないそうだが、消費者からのニーズが高まれば「安全な食肉」として食卓を賑わすことも皆無とは言えない。

 専門的なことは分からないが、一般論として、「病気に罹らない家畜」を開発するということは人類にとって本当にプラスになることなのだろうか。もちろん、プリオンを作らない牛と、すぐに免疫ができる牛と、自己治癒力にすぐれた牛では、異なった影響が出てくるとは思うが、とにかく、「史上最強の牛」といえども完璧というわけにはいくまい。

 「史上最強の牛」が繁殖されれば、いずれその牛を倒すような「史上最強の病気」が発生するに違いない。別のいろんな病気で死んでいた牛が、「最強化」で生きながらえることによって、史上最強の病気に罹る確率が高くなるからである。

 アフリカのサバンナを例にとっても同じことが言えるだろう。サバンナでは、いろいろな病気で体の弱ったシマウマはライオンに食われてしまう。これにより大規模な伝染病は未然に防げた。ところが、「史上最強のシマウマ」が誕生すれば、滅多には病気にかからず、大規模に繁殖するだろう。しかし、彼らが完璧で無いとすれば、いずれ「史上最強の病気」によって、逆に絶滅する恐れが出てくる。

 これも全くの素人考えだが、多剤耐性MRSAとか、SARS、鳥インフルエンザ、O-157などで死ぬというのは、過去にはあり得なかったことだ。弱点をいくら無くそうとしても完璧になりえない以上、むしろ多様性の確保の中で弱点を補い合うような防衛体制をとったほうが得策ではないかと思ってみたりする。

【思ったこと】
_40531(月)[心理]気楽な老後の迎え方(3)楽しい、嬉しい、喜び、気持ちいい、面白い

 6月下旬より、某生涯学習講座を担当することになっている。40名の定員に対して55名の申込みがあったということで光栄ではあるが、さて、期待に応えられるだけの講義ができるかどうか、いまひとつ自信がない。

 この種の講座は、心理学の予備知識を全く持たない方々が受講される。回数も限られているし、「これだけはゼッタイに覚えておけ」とお説教するわけにもいかない。なるべく分かりやすい言葉で、ミニマムな獲得目標を達成できればそれでよいのではないかと思っている。

 そこで、今考えているのは、「生きがい」や「働きがい」を、「楽しい」、「嬉しい」、「喜び」、「面白い」といった日常用語から捉え直してみるという作業である。

 私自身の休日の過ごし方を例にとると、
  • 休日に園芸作業をするのは「楽しい」。但し、単に楽しいのではなく、苗が育ったり、花が咲いたりすることに対しては「喜び」が伴う。
  • コンピュータ相手に囲碁や麻雀で遊ぶのは「楽しい」が、勝ってもそれほど「嬉しく」はないし、「喜び」もない。
  • 近くの温泉施設でサウナや水風呂に入るのは「気持ちがいい」が、「楽しい」というわけではない。
  • 娘がTV番組を視るのは、たぶん「面白い」から。
  • 科学番組を視るのは、知る「喜び」があるから。この場合、必ずしも楽しくなくてもよい。
といったところだろうか。

 最近、しばしば思うのだが、少なくとも私の場合、「楽しい」だけの老後では決して満足できないだろう。「面白い」だけはもっと不満だ。「気持ちいい」は、あくまで何か別の行動を維持するための休息として必要。「嬉しい」は、そう感じられるならそれに越したことはないが、自分から積極的に求めるものではなさそうだ。となると、残りは「喜び」である。「楽しさ」と「喜び」を区別するところに、生きがいのヒントがあるのではないかと考えている。