じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

5月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] ホタルブクロ。 学名に含まれるCampanulaは「小さな鐘」という意味だが、花屋で「カンパヌラ」と呼ばれる品種には、「カンパヌラ・メディウム(風鈴草)」、「モモバキキョウ」、「ヤツシロソウ」、「オトメギキョウ(ベルフラワー)」などが含まれる。ここにあるCampanula punctataは、各地に野生している。


5月28日(金)

【ちょっと思ったこと】


登山ツアー社長からみた自己責任論

 イラクで27日夕、フリーの邦人記者2人が襲撃され、うち1名の死亡確認、残りの方についても遺体の確認が行われているという。この事件については、またまた、自己責任論や自己責任反対論が出ているようだが、こちらの方(5/28付)がいち早くコメントされていたように、日本人には「死人に鞭打つ」というのを是としない国民性があり、今回は、犠牲者の過去の功績を称える論調が主流になるのではないかと予想される。

 ちょうど同じ日、昨年のボリビアツアーでお世話になったトレッキング専門旅行会社から、最新のニューズレターが届いた。その巻頭では、この会社の社長でもあり、ニューズレターの編集長でもあられる黒川恵(さとし)氏が、イラクの人質問題などにもふれながら、登山ツアー参加者の自己責任について意見を述べておられた。その後ネットで検索したところ、こちらにその原文が転載されていることが分かった。イラク人質についての見解自体はそれほど目新しいものではなく、こちらの方が念入りに整理された自己責任論についての諸見解の1つとしてすでに含まれているようにも見えるが、なんといっても、長年、登山ツアーを主催してきた旅行会社社長の言葉という点では非常に重みがある。

 原文はリンク先を見ていただくとして、ここでは、私自身がなるほどと思った点を挙げてみたい。
  • 古くから「ケガと弁当は自分持ち」と言われている登山だけれど、ケガした後のことはいったいどうなるのかと言うと、「それも自己責任だから、自業自得。後は野となれ山となれ」とはゆかない。多くの人々が救助に関わることになる。
  • だから、まっとうな登山者は、他人様に迷惑かけないために精進を重ねて山では事故を起こさないよう努力しているのだ。
  • 「登山は、危険予知能力を高める」と、ぼくは心底信じている。でもそのためには主体的登山をしなければいけない。たとえリーダーがいても「連れていってもらう」心情がどこかに潜んでいると事故につながるのではないだろうかと、最近つよく思っている。
  • 「青信号で横断中の歩行者をはねれば100パーセント自動車がわるい」そんなことは子供でも理解できる。しかし、山には信号機がないのだから、登山者は自分の身は自分で守る覚悟をもつべきだと、ぼくはいつも思っている。
  • ツアー登山引率者は、自らの業務を信号機の役割と考えるべきだ。しかし引率者は、決してバスの運転手にはなりえない。なぜなら、山は自分の意志と体力で登るものであって、参加者はバスの乗客には決してなりえようがないからである。
 5月21日の日記で、エベレスト登山直後に亡くなられた方のことを取り上げた。そこでは、
大田さんの登山の場合は、まさに、自己責任において登頂を達成され、残念ながら下山中に命を落とされた。内科医としてご自分の体調はそれなりに把握されていたであろうし、同行者を犠牲に巻き込んだわけでは無い。この連載の「気楽な老後の迎え方」には当てはまらないかもしれないが、これはこれで1つの人生としてアリではなかったか、と考えてもよいように思う。
と書いたが、上記の黒川社長の論理から言えば、遭難者はまだまだ精進は足りないということになるのだろう。なぜなら、この事故は、悪天候下での無謀登山でもなく、危険ルートからの滑落、転落でもない。また、結果的に、遭難者の死によって、登頂を生涯の楽しみにしていたメンバーは登頂断念を余儀なくされ、さらには、今後の同種の商業公募隊も企画が難しくなった。「誰にも迷惑をかけずに遭難する」などということは山ではあり得ないということだろう。

 いずれにせよ登山には100%の安全はあり得ない。自己責任に帰すべき部分と想定外の事故に帰すべき部分の線引きは難しいとは思うが、社会的には、結果オーライ、結果が悪ければ自己責任として受け止められてもやむを得ないところがあるようだ。

 私自身ももうしばらく、トレッキング程度の山登りを続けたいと思っているが、他人様に迷惑かけないため、最大限に日々精進を重ねて、現地では事故を起こさないように細心の注意をはらっていきたいと思う。