じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 5月10日朝の時計台。緑が最も美しい時期である。全国の大学にはさまざまな時計台があるが、背景の素晴らしさという点では岡大が随一ではないかと思う。しかも、背景となっている半田山は、借景ではなくて、れっきとした岡大の敷地である。


5月10日(月)

【ちょっと思ったこと】

潔(いさぎよ)さということ

 民主党の菅直人代表が10日の両院議員懇談会で「年金未加入問題で国民とわが党の皆さんの不信感を高め、ご迷惑をかけた。私の責任は極めて大きい」と、正式に代表辞任を表明したという。結果論になるが、どうせ辞めるなら、未納が発覚した直後、周囲の慰留を押し切って辞任を表明したほうが、潔かった。これじゃあまるで、世間の批判や、党内部の派閥の圧力で、いやいや辞任を余儀なくされたといった印象である。

 秘書給与詐取事件で辞任した議員、学歴詐称問題で批判を受けながら辞任せずに現職にとどまった議員などもおられたが、どうやら日本では、個人の業績評価とは別次元で、「潔さ」を重んじる価値観が依然として根付いているように思われる。

 ではそもそも「潔い」とは何か。『新明解』によれば

●[古くは、ただ、きれいで、さっぱりした意]思い切りがよくて、りっぱだ。

となっている。これは明らかに、成果主義とは異なる概念だ。今の世の中、現職にあるうちは成果主義も重視されるようになるが、その人物への最終評価は「潔さ」であるのかもしれない。赤穂義士、新撰組などをみても、歴史上は実はあんまり世の中のために貢献していないのに、潔さが抜群であるという理由で高い人気を得ている場合がある。

 「潔さ」が本当に価値のあるものかどうかは分からない。見方によっては、周囲の目ばかり気にして、自分の信念を貫けないケースも出てくるかもしれないが、とにかく、政治家では潔さが大切だ。イラクのフセインなども、あんな穴籠もりせずに、宮殿に立て籠もってビデオ中継をしていれば、伝説の英雄になれたかもしれない。いま一番、潔さに欠けるのは、「大量破壊兵器」の大義を失い言い訳に終始している某大国大統領か。




保護司はボランティアだったのか

 ネットニュースを検索中、たまたま<保護司>「定年制」導入で大量退任 若い成り手不足という記事が目にとまった。

 記事によれば、保護観察官約600人に対して、保護司のほうは5万2500人、年間約7万5000人の保護観察対象者の更正に携わっているという。また、記事によれば、保護司の平均年齢は年々高齢化、その一方で、1999年に76歳以上は再任しないという通達が出され、その暫定期間が終了したために、充足率が低下。特に東京都では約89%まで下がっているという。

 保護司が、犯罪を犯した人や非行少年の更正のために働いている人であることは知っていたが、非常勤の国家公務員ながら全くの無給であるとは知らなかった。若者の非行・犯罪が多様化しているなかで、親身になって更正をサポートする保護司の役割は重大、それを、無給のまま放置しておくとは全く信じられない。

 念のため「保護司 無給」で検索してみたところこちらに、現在の保護司制度成立の経緯が記されてあった。おそらく、僧侶や、地域活動の功労者などがその役を引き受けることが多く、それらの人々は別に十分な収入があること、また、「報酬目当ての仕事ではない」という使命感のようなものが、無給体制を維持してきたのではないかと推測される。

 とはいえ、現実に充足率が下がってきた以上、何とか手をうたなければなるまい。「報酬目当て」を蔑むという発想ではなく、労働に対しては正当な給与で報いるべきであるという原則に基づいて、ちゃんと雇用し、それと同時に、仕事内容を評価し、その成果に応じて依頼件数を増やしたり、第三者によって再任の可否を公正に決めるといったシステムを作っていくことが必要ではないかと思う。