じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 時計台付近のマツバウンラン(写真右の後ろは、文法経三学部)。こちらによれば、学名はLinaria canadensis。そういえば、花の形がリナリア(姫金魚草)とよく似ている。
雑草どうしの生存競争が激しい芝地で、こんな、か弱い植物がどうして繁殖するのか不思議に思うことがある。おそらく、細いながらも急速に伸びる花穂にそのヒミツがあるのだろう。


4月28日(水)

【思ったこと】
_40428(水)[一般]国民年金未納を告白するわたし

 大物政治家の国民年金未納が次々と暴露され、もはや「平成・告白謝罪言い訳合戦」となっている。私は大物政治家ではないが、このさい、第三者から指摘されないうちに、未納期間があったということを告白しておきたいと思う。

 私の場合、大学、大学院はすべて現役で入学したもののオーバードクター期間が6年にも及び、専任職に就いたのは33歳6カ月の時点であった。この期間、国民年金を全く払っていなかったので、未納期間は13年6カ月ということになる。

 但し、厳密に言うと、研究の都合上アルバイトが一切できなかったために妻に扶養されていた時期がある。この時期は第3号とやらで、払っていた期間になるはずだ。また、私が大学生や大学院生の頃は任意加入となっていたので、記者会見で詫びるべき「納入義務を怠った」期間はそれほど長くはないが、福田官房長官並みの未納期間は存在していた。どうもすいません。ごめんなさい。反省している。不明の至り。恥ずかしい。国民に不信感を与えることになり、まことに申し訳ございません。


 年金保険料を納めなかった期間があったことによって年金財政を圧迫させたことは大いに反省しているが、当時オーバードクターだった私は、老後の生活などを考える余裕はなく、そんなことより、自分がいま病気になったり事故に遭ったらどうするのか、つまり、年金より生命保険や傷害保険に入ることのほうが重大関心事だった(←「傷害基礎年金」のことは当時はよく知らなかった)。

 また当時の私でも、任意加入であれ、義務を怠っていた場合であれ、とにかく納付済期間が40年に満たなければ、受け取れる老齢基礎年金額が減額されるということぐらいは知っていた。しかし、当時の私は、年金額が減額されるという規定そのものが未納付に対するペナルティ、もしくは、契約条項であると受け止めており、法律上の義務を怠っているという意識はなかった(だからこそ、社会保険庁を初めとする公的機関の案内ページにも、減額の算出表が載せられているのではないか)。

 じっさい、UFJ銀行の減額算出表を見ると、私の場合は、60歳時点での納付期間はおおむね28年。但し定年は65歳なので、結果的に33年分を納めることが可能である。この場合の年間支給額は満額より10数万円ほど低くなる。そういうことを承知でなお未納であるなら、あとは自分の責任で老後を設計してもよいのではないかと思ってみたりする。実際、私の場合は、就職後しばらく経ってから、財形年金の積み立ても始めたし、その後、個人年金や終身保険にも入っている。もちろん、これとは別に共済長期という形で毎月かなりの額が給料から差し引かれているので、定年後に路頭に迷うことはあるまい。

 年金制度がいまのような仕組みになった経緯はいろいろあるのだろうが、とにかく、今のような複雑で未納者が続出するような制度は間違っているし、管理システム維持費、社会保険庁や専門相談役の人件費も相当に財政を圧迫しているように思う。共産主義国家ではないのだから、老後のことは、自己責任、自助努力が原則。国民年金など廃止して、税金一本で社会的弱者への福祉政策を充実し、かつ、経済的に自立できない高齢者に対しては生活保護などの施策を講じれば、それでよいのではないかと思う。

 あと、何度も書いていることであるが、人を助けるというのは決してお金や物を与えることではない。高齢者福祉であれ、海外での復興支援であれ、基本は、当事者たちが能動的、自立的に生活できる場を確保することである。高齢者の年金額を月額5万円増額するために苦慮するよりも、その高齢者が月収3万円で生きがいをもって働けるような雇用の場を確保することのほうがはるかに大切。