じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
大学構内の至る所でタンポポの花が咲いている。いちめんに広がるお花畑はなかなか見事。 |
【思ったこと】 _40417(土)[一般]ハンコ社会は変わるか 新年度に入り、学生・院生から「ハンコをお願いします」と言われることが多くなった。指導教員の押印が必要な書類としては
これについては、そもそも指導教員のハンコが必要なのかどうかという問題と、ハンコ社会の根本に関わる問題がある。 まず前者の問題だが、「指導教員の押印が必要」であるということには
2.の「指導教員として知っておく必要があるから」という理由も、これだけ書類が多いと現実的とは言えない。指導教員としてどうしても知っておく必要がある場合は、別途、リストを配布してもらいたいものだ。 次に後者の問題だが、そもそも、ハンコが押されているからといって、それが本当に本人の押印であるかどうかは、事件が起こるまでは確認できない。よほど珍しい名字でない限り、今やハンコなど100円ショップでも売られている。印鑑証明でもつけない限りは、殆ど無意味ではないかという気もする。 それにしても、日本社会ではなぜこれほどまでにハンコにこだわるのだろうか。ネットで検索したところ日本人は何故かくまでハンコを寵愛するかといった記事が見つかった。これによれば、ハンコの始まりはおそらくシュメール人が使った円筒印章。いっぽう江戸期以前の日本では、印鑑ではなく、花押のようなサインが使われていた。それが江戸時代に入って「印形は首とつりかへ」と言われるまでのハンコ重視となる。さらに明治に入り太政官布告によってハンコの捺印が義務づけられ、「署名捺印」から「記名捺印」となって現在に至ったということのようだ。 上掲の記事などを参考に日本がハンコ社会になった理由を私なりに考えてみると、
重要な契約の際に「印鑑証明」と「実印の押印」という形でハンコを用いることにはそれなりの意義があるだろうが、三文判で済むような押印はさっさと廃止してしまったほうがよい。どこまで廃止できるのかを検討することは、事務処理の簡素化にもつながるだろう。 |