じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 半田山の新緑が鮮やかになってきた。半田山は岡大の敷地の一部であり、自然との共生を理念とする岡大のシンボルでもあるが、国立大学法人となった今、その資産をどう管理・活用するのか、いずれ議論になることと思う。


4月16日(金)

【思ったこと】
_40416(金)[一般]「自己責任」の論理

 イラクで日本人3人が人質となった事件は、15日夜に解放が確認され、ひとまず解決した。たまたま「TVチャンピオン:親子漢字王決戦'04」を視ていたところ字幕で速報が伝えられ、その後のNHKニュースで、解放を喜び合う家族の様子が第一報と共に映し出された。とにかく命が助かってよかったよかった。

 もっとも、人質が助かった今だから敢えて言うが、個人的には、このニュースが連日トップ項目で伝えられることには少々違和感があった。人の命に関わるという一点においての重大さは何物にも代え難いとはいえ、大局的な視点に立てば、重大なニュースは他にもたくさんある。年金審議もそうであるし、北朝鮮拉致被害者の家族が未だに分断放置されているというのもきわめて深刻な問題だ。仮にエベレストの頂上直下で日本人登山者3人が遭難し救助を求めていたとしても、今回の人質事件ほど大きく取り上げられることは無かったであろう。

※もちろんそうは言っても、人質の御家族にとっては最優先の一大事であった。お茶の間で娯楽番組とニュース速報を交互に視ている我々とは置かれている立場が異なる。御家族の発言や行動を批判している方もおられたが、もう少し、極限状態に置かれた方々への配慮があってもよかったように思う。但し、「配慮する」ことと「発言に同意する」こととは別問題であるが。




 人質(但し今回の日本人3人のみ)が解放されたという結果をふまえて、新たに、「自己責任」をめぐるさまざまな議論が活発になってきた。政府与党の会合などでは
  • 山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった
  • 損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ
  • 人質の家族が東京での拠点に使った北海道の東京事務所の費用負担をどうするか、知事は頭を痛めている
という声も出ているというし、その一方、危険地域への海外渡航を禁じる法整備の検討を確認するなど再発防止に向けた動きも本格化しているという。




 ここで念のため確認しておきたいのだが、自己責任論というのは決して他人に責任を押しつけることでも、「自業自得、勝手に死ねば」ということでもないと思う。仮に軽装備でエベレストに登って遭難してしまった場合(←実際には登山許可が必要なのでそんなにエエ加減な登山はできないが)、遭難自体は自己責任ということになる。しかしだからと言って、救出を待つ登山者に対して「勝手に死ねば」ということにはならない。少なくとも家族や関係者は可能な限り手を尽くすであろう。

 私が理解するところでは、自己責任というのは、個人と、権利・義務関係にある団体や組織や施設や公的機関(国や地方自治体)とのあいだの関わりの在り方に限定した概念である。くれぐれも個人間の互助関係と混同してはならないと思う。

 自己責任論を展開するには、その行動の任意性、選択の自由、そして多様な価値観が認められていることが前提となる。そうした自由を保障する一方で、その行動がどのような結果をもたらしたとしても、国や組織は尻ぬぐいをする義務を負うことはありませんよというのが自己責任論。そしてその対極が、個人の生命や財産を保護することを前提に国や組織が個人の行動の自由を制約すべきだという立場だ。それぞれの論点は排他的であり、それらをごっちゃにした主張をするべきではないと思う。

 今回、日本政府は、人質を安全に解放するために、ファルージャでの武装勢力との停戦延長を米国に要請したという。そのこと自体はありがたいことであったと思うが、自己責任論という立場からは、あそこまで大規模に救出対策をとらなくてもよかったのではないかと思うところがある。単に、国のやっていることと、人質になった人達がやろうとしていたことの違いを明言すればそれでよかったのではないか。

 その一方、人質の救出を政府に要求するのであれば、合わせて危険地域への海外渡航を禁じるべきだと主張しなければ筋が通らない。

 いろいろな価値観を持った日本人が、自己責任を前提にイラク国内でいろいろな活動をすること自体は許容されるべきだと思うが、それらの人たちが次から次へと消息をたつたびに、政府があたふたと救出対策に追われるのは過保護でありすぎるように思う。

ちょっとだけ追記]
人質が解放された今だから言うが、今回の人質たちは、自らの意志で危険地域に赴いた人たちであった。北朝鮮に拉致された人々の場合は、日本国内で幸せに暮らしていた善良な市民が外国工作員によって突然連れ去られたという点で根本的に異なっている。国民の平穏な暮らしを守ることが政府の絶対的な責務である以上、政府はあらゆる手段を講じて未だに残されている拉致被害者家族の救出と真相究明に取り組むべき義務があり、先延ばしは許されない。また、そのことに関して拉致被害者やその家族が政府にいかに強硬に要求を出したとしても行き過ぎということには決してならないと思う。