じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 2/4の日記でハムスター繁殖の写真を掲載したが、その後何度か短時間の同居をさせていたところ7〜8匹の子どもが生まれた。左の写真にあるようにすでに固形物を食べられるようになっている。


3月26日(金)

【ちょっと思ったこと】

回転ドアはなぜ反時計回りなのだろうか

 26日午前11時半頃、東京港区六本木の「六本木ヒルズ」内の森タワー2階正面入口で、6歳の男児が自動回転ドアに頭を挟まれ死亡するという痛ましい事故が起こった。これまでの調べでは、人が挟まれた状態を感知するセンサーが男の子の背の高さで作動していなかった可能性があるという。

 回転ドアというのはホテルの玄関のほか、寒冷地の建物でよく見かける。横に開く自動ドアやに比べて寒気が入りにくいこと、また押したり引いたりして開けるドアと違って、大きな荷物を持ったままでも軽く前を押すだけで中に入れるといった特長がある。ホテルのドアに多いのは、ドアの前でいちいち「いらっしゃいませ」と言いながらボーイがドアを開けなくても失礼にならず、人手がかからなくても済むためではないかと思ってみたりする。

 さて、事故が起こった回転ドアで疑問に思うのは、なぜ回転方向が反時計回り(左回り)になっているのかということだ。日本では、遊園地の遊具はたいがい進行方向に向かって左側から乗り込むようになっている。観覧車、メリーゴーランド、ジェットコースターなどはそのように設計されているものが多い(98年6月13日の日記ほか参照)。

 なぜ進行方向の左側から乗るのか、それが利き足(右足)で体を支えやすいことに関係しているのか、それとも日本のバスが左側から乗降することに合わせているのか、このあたりは、車が右側通行である国を旅行するたびに観察しているのだが、いまひとつ分からない。しかし、とにかく、日本国内では、回転するドアにぶつからないように移動するには時計回りのほうが馴れていて安全ではないかという気がする。

 このほか、親子連れで手をつないで回転ドアに入る場合、どちら側で手をつなぐことが多いのかも考える必要があると思う。回転ドアは中心部のほうがドアの移動距離が短い。また、挟まれる恐れがあるのは外側部分である。これらから、反時計回りのドアでは親の左側で手をつないでいたほうが子どもは歩きやすいのではないかと考えることができる。しかし、日本では歩行者は右側通行であるため、歩道のない道路を手をつないで歩く時は、親の右側で手をつないだほうが車にぶつかりにくい。これまでのところ、回転ドアの安全装置の部分だけが注目されているようだが、今後安全基準を作ることになるのであれば、どちらの方向に回転するのが安全なのか、また手をつないでドアに入る時は子どもは親のどちら側を歩くべきなのか、十分に検討してほしいと思う。


 余談だがチベット仏教では、すべて時計回りに歩きながら礼拝することになっている。いっぽう競走競技やスケートでは、反時計回りになっている。これは利き足(右足)が踏ん張ると都合の良いためかと思う。




ロダンの「思い悩む人」

 27日朝5時すぎにNHKで世界の美術館めぐりの再放送をやっていた。今回取り上げられたロダンは「考える人」や「地獄の門」の作品で有名だが、芸術界に疎い私は、ロダンがどのような生涯を送ったのか全く知らなかった。番組によればロダンには、若いときから連れ添ったローズ・ブーレという女性が居た。ローズ・ブーレはロダンの身の回りの世話や作品の管理など、もっぱら陰からロダンを支えてきたが、正式に結婚したのはなんとロダンが77歳になった時。しかも、ローズ・ブーレは結婚式の2週間後に、ロダン自身もその年の11月17日に亡くなっているという。なぜそんなに年をとるまで入籍をしなかったのか、番組では説明がなかった。

 ロダンにはもう一人、カミーユ・クローデルという女性が居た。こちらは当初、才能が認められてアトリエに弟子入り、つまりロダンとは師弟関係にあったわけだが、その後、深い関係となり、またその愛から、共同制作に近いと思われる数々の名作品が誕生した。ロダンの美術館にも、ロダン自身の希望により開設された彼女の作品の展示室があるという。

 晩年まで内縁の妻であり続けたローズ・ブーレとは異なり、カミーユ・クローデルはロダンとの正式の結婚を求めたが果たせず、後に別離。その後、精神の病を患い1943年に亡くなるまでの30年間は入院生活を続けていたとか。

 以上は番組から聞き取った範囲の情報であり不正確な点があるかもしれないが、いずれにせよ、ロダンにこうした女性関係があったことは今回の番組で初めて知った。よく知られる「考える人」は、じつは、ローズ・ブーレを選ぶか、カミーユ・クローデルを選ぶかを「思い悩む人」を描いた作品であったかもしれないと解釈するのは的はずれだろうか。