じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 高級車のボンネットの上で日向ぼっこをする野良猫。大学構内の駐車場では、ボンネットの上やエンジンの真下で寝ている猫を見かけることがある。エンジンを止めた後、暖かくなっているためだろうが、さて車の持ち主はどんな顔をするやら。


3月7日(日)

【思ったこと】
_40307(日)[心理]批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ(11)クリシンの反証可能性

 2月8日(日)に京大で行われた表記ワークショップの感想の続き。前回、開催日から1ヶ月以内には何とかして完結したいと思っている、と書いたが、とうとうその1ヶ月が過ぎてしまった。多少中途半端になるが、今回で完結させたいと思う。

 12番目は黒岩氏による“「考え方」を学ぶ小論文指導におけるフィードバックが批判的思考力に及ぼす効果”という話題提供であった。内容は、高校における実践研究であり、「生きる力」を育成する手段としての批判的思考の教授、小論文指導の有効性、批判的思考力育成における心理学的知見の活用、などに関するものであった。

 ところで、もし“「生きる力」育成”を目標に掲げた場合、その効果を客観的に検証する必要が出てくる。そのためには「生きる力」を測る物差しが必要になってくるわけだが、実際には、「生きる力」というのは教育政策上の用語だという。「豊かな心」や「活力」なども同類ではないかと思った。

 発表時間が短かったこともあって十分には理解できなかったが、「批判的思考力の育成における小論文指導の有効性」ということに限って言えば、やはり毎日Web日記を執筆すること、それも日常生活記録ではなく、何かのテーマについて自分なりの見方を提示することを心がけて執筆するということであれば、多少なりとも効果があるのではないかと思ってみたりする。もっとも効果があるのはおそらく、基礎的な作文レベルに達するまでの段階だろう。それ以上は何年書いてもそんなに上達するものではない。年をとれば逆に低下する。この日記自体のログを辿れば、そのことは自明である。




 さて、このワークショップの最後は、子安氏によるまとめであった。

 子安氏はまず、ポパーの批判的合理主義を引用された。モデルや理論などを主張するにあたって、証拠を集めるのは簡単だ。重要なのは、どうなれば反証されるのかを明らかにすべきだというのがポパーの観点である。余談だが、私が大学院を受験する時には、心理学は哲学科に属しており、哲学共通の英語問題が出題された。このこともあって、受験前の一時期は私もポパーの本を必死に読んだ。その後、いまから12年前くらいだったと思うが、京都の国際会議場でポパーの講演を拝聴したことがあった。当時すでに100歳近いお年だったと思うが、日本人哲学者の質問に対して「お前の考えは、内なる敵ではなくて外なる敵だ」などと、お元気なご様子であったが、それから何年かたってお亡くなりになった。

 元の話に戻るが、節約という観点からみて「批判的思考」あるいは「クリティカル・シンキング」という概念は必要であろうか。そのためには、「批判的思考など無い」という言明が反証可能かどうかを考えていけばよい、というのがポパー流の受け止め方ということになる。

 次に子安氏は、過剰関連づけである、錯誤相関、迷信、過剰拡張などを信号検出理論のフォールスアラームの観点から説明された。肯定的にとらえるならば、科学研究においては、フォールスアラームを恐れないことがヒットを生むとも言える。しかし、フォールスアラームばかりでは誤った方向に迷走してしまう。子安氏は、このあたりを「心のアクセルとブレーキ」つまり「妄想(思考)の駆動力」と「検証(批判的思考)の制動力」というように表現された。

 「批判的思考=制動力」ということは、それだけやっていても前には進めない、生産的で建設的な思考を進めるためには、やはり「駆動力」も磨かなければならないという意味にもとれる。実際、批判的思考からは恋愛は決して生まれない。相手を愛するには、なにがしかの「妄想の駆動力」が必要であろう。




 ところで、「反証可能性」だが、私自身は、心理学の法則やモデルというのは「成り立つか、成り立たないか」という証明と反駁の繰り返しで発展するものとは考えていない。むしろすべての法則はツールであり、ある範囲の中では成り立ち、その範囲の外では成り立たないものだと考える。重要なことは、法則を証明する研究ではなく、法則の及ぶ範囲を広げ、その生起条件を確定するための研究(「生起条件探求型の研究」、こちらの論文参照)ではないかと考えている。この視点が無いと、批判的思考はけっきょく「こういう見方もあるが、別の見方もある」という多様な解釈の羅列に終わってしまいそうな気がする。「生起条件探求型」の視点を保てば、どういう場面ではどういう見方が最も有効か、つまりツールをどう活用するかという生産的な方向が生まれてくると思うのだが、このあたりは別の機会に論じたい。

 もう1つ、今回は「批判的思考の認知的基礎と実践」というタイトルであったが、「錯誤相関」、「迷信」、「過剰拡張」などの現象は、認知レベルの誤りではなく、むしろ、行動と結果との関係、つまり行動随伴性によって形成される可能性が高いと考えている。批判的思考力を磨くには、インプットだけではダメで、必要なのは、行動にどういう結果が随伴しているのか、それによって行動がどう強化されているのかを正確に分析することだと思うのだが、これについても機会を改めて考えてみることにしたい。