じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真]  久しぶりに農学部の中を通ったら、昨年10月に撮影した芭蕉の花が黒っぽい実になっていることに気づいた。寒さのせいだろうか、全体が枯れているようにも見える。右上は昨年10月18日撮影。


2月20日(金)

【ちょっと思ったこと】

裁判員制度は一種の徴兵制か

 最近の報道のなかでよく分からないのが、裁判員制度である。私が理解した範囲で最近の新聞記事をまとめると、
  • これは重大な刑事裁判に一般市民が参加する制度である。
  • 一般市民の中からランダムに選ばれる。
  • 選ばれた市民は正当な理由なしに選任されることを拒否できない。
  • 裁判員候補者になったが、免れたいなどの理由で、裁判所から送られた質問票にうそを書いたり、選任手続きで虚偽の陳述をしたりする行為は50万円以下の罰金。
  • 裁判員と元裁判員は、裁判終了後に事実認定や量刑の当否について自分の意見を述べると罰せられる。
  • 裁判員候補者が正当な理由なく呼び出しに応じなかったり、裁判員が公判期日に出頭しなかったりしたときは、10万円以下の過料(行政罰)。
 陪審制度が受け入れられてきた米国ならともかく、日本でこのような制度は果たして定着するのだろうか。「一般市民が参加する」というと権利の行使のようで聞こえがよいが、実際は「正当な理由なく選任を拒否すれば罰せられる」という義務化である。徴兵制と同じようなものではないか。

 以前にも一度だけ日記に書いたことがあったが、そもそも、なんで刑事裁判に一般市民が参加する必要があるのだろうか。念のため言っておくが、刑事裁判というのは、「被告を悪い人と思うかどうか」を判断する場ではない。さらに言えば、「被告が犯罪を犯したのは事実かどうか」を科学的に実証するだけの場でもない。では何が正解かと言えば、「被告の行為は、すでに定められている法律に違反しているかどうか」を裁くのが裁判所の目的であったはずだ。つまりどんなに悪いことをしても、それを裁く法律が無ければ罰することはできない。これが法治国家の原則であろう。

 そのことを判断するには、法律についての十分な知識が必要である。しかし法律は複雑かつ難解であって、すべての市民が仕事そっちのけで法律の勉強をしていたのでは国が滅びてしまう。法科大学院が次々と誕生したのも、そうした専門家養成のニーズがあったからではなかったのか。

 裁判員制度というのは、いったい誰が何を目的に言い出したものなのだろうか。少なくとも市民運動の盛り上がりの結果ではなさそうだ。それを導入することで誰が得をするのか、調べてみたいと思う。