じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真]  ある会合で、最近大学構内のゴミが目立つようになったという話が出た。

 一因として、館内全面禁煙になった反動で、屋外の歩行喫煙が増えた可能性がある。タバコ関係以外では、ペットボトル、紙パックなど。ゴミや吸い殻をポイ捨てするような学生は見つけしだい無期停学、職員なら停職、業者なら取引停止にしても構わないと思う。

 ちなみに、街角では、ゴミ袋を片手に、このようなゴミをせっせと拾っているボランティアの方々を見かける。それはそれでありがたいことだと思うが、私自身は、不心得者の尻ぬぐいをする気にはなれない。但し、構内で吸い殻のポイ捨てを目撃した時には、相手が誰であれ、大声で怒鳴りつけて吸い殻を拾わせるようにしている。


2月19日(木)

【思ったこと】
_40219(木)[心理]批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ(5)文化的差異と批判的思考/批判的思考のメタ認知的知識

 少々あいだが空いてしまったが、2月8日(日)に京大で行われた表記ワークショップの感想の続き。

 4〜6番目の話題提供は「批判的思考の認知過程」という大テーマであった。このうち4番目は、山氏による「二重過程理論と論理的・批判的思考」であったが、配付資料が無く、批判的思考自体との関連性が今ひとつ分からなかった。

 内容は、欧米人と東洋人の思考の文化的差異に関する最近の文献紹介であった。欧米人と東洋人の違いについては、「狩猟民族vs農耕民族」、「個人主義vs集団主義」など、これまでにもいろいろな話を聞いたことがあるが、ここでは、進化心理学と二重過程論の論点が紹介された。専門的なところはよく分からないが、要するに、適応的合理性と規範的合理性で、文化的差異を説明しようとしているように聞き取れた。「自然環境において目標に到達するために合理的にふるまうこと」と「規範に対して合理的にふるまうこと」という話は、文化的差異というより、和田秀樹氏が言うところの「シゾフレ人間(=その場に合わせて時には無節操にふるまうタイプ)」と「メランコ人間(=一貫性を重んじるタイプ)」にちょっと似ているように思えた。

 今回の話題提供とは全く関係ないが、『痛快!心理学』などに紹介されている日米の文化差についての和田秀樹氏の考察:
  • アメリカ人は個人主義で、競争が大好きな国民であるのに対して、日本人は「和をもって貴しとなす」「すぐに群れをなしたがる」、つまりみんなと横並びでいることに安心感を覚える性質があるとよく言われるのは誤解
  • アメリカのほうは放っておけば「みんなと同じ」横並び社会になってしまい、弊害が大きくなるので「他人と競争することが美徳である」という倫理を教え、日本のほうは反対に、そのままでは他人を蹴落とす競争をし始めるので、「和を大切にしなさい」と教えているのではないか
などは、文化差についてのステレオタイプな見方に対して批判的思考の視点を提示しているという点で一読に値すると思っている。

 個人的には、文化差の問題は、それぞれの社会、組織、集団において、どのような行動が強化されやすい仕組みになっているのかという随伴性の分析、またその随伴性システムを維持することがどのようなベネフィットをもたらしているのかという分析を通じて明らかになっていくものと思っているが、これについては別の機会に考えを述べたいと思う。




 5番目は、修士1回生の田中氏による「批判的思考の効果的使用を支えるメタ認知的知識」という話題提供であった。田中氏の研究は修論研究の中間報告のようなものであり、大学生に対して批判的思考の特徴を提示して、どのような状況でそれが効果的でありうまくいくと思うか、どのような状況では効果的でなくうまくいかないと思うかを自由記述させ、2名によるKJ法で分類するという内容であった。そしてさらに、クラスター分析や対次元尺度構成法による分析が行われた。私の教室でも、最近は質的研究法重視の流れの中で「KJ法」を用いる学生・院生は多いが、多変量解析まで発展させるのは希である。指導スタッフを強化していなかければ...。

 さて、批判的思考のメタ認知的知識が効果的である場合と効果的でない場合のカテゴリーとして導き出されたのは
  • 効果的である→問題を解決する。「より適切な答え」を求めている状況
  • 効果的でない→好み、価値観、主観、信念、直感が重要。楽しむことが目的。「答え」がいくつあってもかわまない状況。
といった内容であったというが、これは私が素朴に考える批判的思考の有効性とはやや異なるものであった。

 フロアからの質問としても出されたが、ゲームのような遊びの状況でも批判的思考が役に立つことは多い。また、価値観や信念に関することであっても、それを固定的に貫いていくか、それとも柔軟にとらえて日々改訂していくのかによって批判的思考の役割は変わっていくと思った。

次回に続く。