じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  前期試験より一足先に息子の高校の卒業式があった。親として何よりも嬉しかったのは、私学特有の週6日制というなかにあって中高6年間無遅刻無欠席を続け、皆勤賞をいただいたことである。
 中高6年間を通じて、息子は学習塾には一度も通ったことが無かった。先生方を信頼し、授業を真剣に受け、予習復習に徹することで勉学に励んだ。人格形成の場としても得るところが大きかったようだ。
 高3などというと、受験勉強に追われた忍耐の1年間であるように思われがちだが、息子自身が「我、事において後悔せず」と宮本武蔵の言葉を引いて答辞を読み上げたように、じつは、精一杯学ぶことのできた最も充実した1年間であったのかもしれない。

※(左上は16年前の写真)


2月18日(水)

【思ったこと】
_40218(水)[心理]小学校の英語必修化

 2月19日の朝日新聞記事によれば、文部科学省は、小学校で英語を教科として教えることを本格的に検討する方針を固め、来月にも中央教育審議会に専門家によるグループを設けて議論を始めるという。

 「英語が使える日本人」をとりまく諸問題については、以前紀要論文にまとめた通りである。いずれにせよ、小学校で英語教育を必修化しても、その成果はあまり期待できず、逆に、他科目の学力低下、国語表現力の低下、さらに、英語をペラペラとしゃべる外国人に対する劣等感の刷り込みなどの弊害が懸念される。

 小学生がピアノのおけいこと同じ感覚で英語を楽しむのはいっこうにかまわないが、今の環境のもとで週に2〜3コマの英語授業を必修化したところで、せいぜい「ハロー」「ハーワーユー」「サンキュー」などの挨拶言葉が言えるようになるだけ。英語の読み書き能力の基本が身につくとは到底思えない。

 この日記に何度も書いているように、外国語などというものはそれを使う必要がなければすぐに忘れてしまうものだ。街角の突然インタビューで「彼と食事する」を「I eat him.」としか言えない若者が居るように、中高6年間英語を教わっても使う機会が無ければたちまち忘れてしまう。

 小学校での必修化の前に、日本人が英語にふれる機会を増やすことを真剣に検討するべきである。この日記でも何度か書いたように、たとえば、今のテレビ番組ではほとんど二カ国語放送が無い。ためしに今日の番組表をチェックしてみると
  • NHK総合 19時台と22時台のニュースのみ
  • NHK教育 深夜のドラマのみ
  • 瀬戸内海テレビ 全くなし
  • 山陽テレビ 全くなし
  • OHKテレビ 全くなし
  • 西日本テレビ 全くなし
  • テレビ瀬戸内 朝7時半からのディズニータイムのみ
となっておりほとんど皆無に近い。せいぜいNHKの衛星第1で外国のニュース番組が挿入されているだけであるが、これも夏になればどうせ、「マツイ出場予定」などの大リーグ中継ばかりになるのだろう。

 この1年のうちにVHSビデオデッキよりもDVDレコーダーの販売台数が増えたというニュースを聞いたこともあるが、私の知る限りでは、DVD-RW(VRモード)など一部の録画方式を除けば、DVDでは二カ国語放送を録画することができない仕様になっている。これじゃあ、繰り返し勉強することさえできない。

 そのほか、子供のメディアやゲーム機器マニュアルなどにももっと英語を取り入れるとよいと思うのだが、企業まかせではいつまでたっても実現しないだろう。




 記事によれば、もともと文科省は小学校での教科化に極めて慎重で、当初は今年度内に省内に調査研究協力者会議を設け、2年かけて中教審で議論を始めるかどうかの「下調べ」をすることだけを決めていた。しかし、保護者らの要望も多いテーマであることから、指導要領のあり方を話し合う中教審初等中等教育分科会の教育課程部会の下に設ける英語教育の検討グループで、この議論をより早く進める方針に変更したという。

 ここでいう「保護者の要望」がどのようなものかは分からないが、外国語のように「使って初めて身に付く」ものを学校任せにしようというのであれば根本的に間違っていると思う。小学校で必修化となればいずれ「英語を学ぶ意欲の喪失」などが議論されることになるだろうが、「意欲」を体の内側から自然にわき上がっていくものだと考えたら大間違いだ。英語を使う機会があり、使ったことに成果(何かが分かる、相手に通じる)が伴うことで適度に強化されてこそ、意欲が増進していくのである。