じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 研究室窓際の蘭の花。種名は忘れたが、香りがきつい。次々と花が咲くのは湿気が保たれている証拠であり、インフルエンザの予防になる。


2月17日(火)

【思ったこと】
_40217(火)[教育]法人化後の裁量労働制

 不確かな情報ではあるが、国立大学の法人化に伴って、各大学の判断により専任教員の裁量労働制が導入される見込みであると聞いた。これまで国立大の教員の勤務時間は、月曜日から金曜日まで、おおむね朝8時半から17時まで、うち昼休み30分というように一律に決められていた。これを厳密に適用すると、授業が無い日でも8時半にはちゃんと大学に来ていなければならない。その一方、17時を過ぎたら帰宅してもよいはずなのだが、実際には17時40分から委員会が開かれることもたびたびであった。裁量労働制となれば、原則的に、労働に従事する時間を個々人が自由に決めることができるため(深夜10時から午前5時を除く)、ある意味では現実の勤務形態に近づいたと言えないこともない。

 では、これによって教員の生活はどう変わるのだろうか。私個人の場合は、アパートと研究室が自転車で10分ほどの近距離ということもあって、ほぼ毎日規則正しく8時すぎに出勤、19時半ころ帰宅という生活を守っている。仕事がたまりがちなので土日祝日も在室することが多い。裁量労働制が適用されたからといって、そんなに変わるものではあるまいと思う。

 裁量労働制となっても土日祝日の勤務には所属長の事前許可が必要であり、かつ、みなし労働時間には含まれないというが、大学に来るなということではあるまい。但し、休日に在室していて地震に遭った時など、労働災害の認定を受けられるのかどうかは確認しておく必要がある。

 文系の教員の場合でも毎日1回、出勤簿に押印する義務が残るので、自宅研修日を作ることはできない模様だ。これは「みなし」であっても出勤免除にはならないという形式的な理由のほか、通勤手当支給に影響するためではないかと推測される。もっとも、今は自宅に居てもEメイルや掲示板でやりとりができる。出勤した時だけ交通費を支給するようにしたほうが諸手当の節約になるようにも思える。




 では、この制度の導入で何も問題は起こらないだろうか。まず事前の取り決めが必要だと思うのは、委員会や教授会などの時間帯をきっちり確保することだと思う。皆が好き勝手に勤務時間帯をずらし、それを最優先に活用してしまったとしたら、委員会や教授会は定足数さえ揃わないことになる。いつでも連絡がとれるように各教員に携帯電話を貸与し、「会議の招集があった場合は、正当な理由無しにこれを拒むことはできない」と約束をとりつけておく必要があるように思う。

 学外非常勤講師などの兼業についても一定の歯止め、もしくは全面禁止が必要だろう。昼間の時間に他大学で非常勤収入ばかり得ているようでは何が本業か分からなくなる。ということは、結局のところ、裁量労働制は、各教員の個人評価と一体となって導入されていくことが不可欠となる。一部の評価数値だけが一人歩きしないよう、多様な質的評価を取り入れていくことが望まれる。




 余談だが、先日、法人化後の某学部教授会のあり方を検討する某委員会に代理で出席したことがあった。これまで某学部の教授会は長時間になることが多く、夕食抜きで21時過ぎまで続いたことも数回あった。そこで私は、
  • すべての会議は2時間以内で完結させるべきだ。8時間も続けたら、よほどの論争好き以外は思考力が低下し、無気力状態になる。
  • 全員参加といっても定足数ぎりぎりで開始されているではないか。しかも、1回の会議で意見を述べるのはせいぜい10人くらい。中にはこっそり中座したり、本を読むなど「内職」している人もいる。全員参加型の形式的民主主義に固執せず、より合理的な代議制に移行すべきである。
  • 全構成員の意見は、Eメイルで集めることもできるし、より小さな教育単位で議論を深めて集約することもできる。全構成員の権利は、リコール制、会議開催要求、全員投票制などのシステムさえ整備しておけば十分に確保されるはずで、何も毎月1回一堂に会す必要はない。長時間の会議は、各教員を拘束し、研究活動を妨げるだけだ。
などと演説した。「教授会はほぼ従来通りで」という提案でまとまりかけていたところに、代理の私がのこのこと出てきてひっくり返したので混乱を与えることになってしまったが、「よくぞ言ってくれた」と後で激励してくれた方もおられた。裁量労働制導入後は、会議への出席義務を強化すべきだというのは上に書いた通りであるが、長時間の「会議づけ」は全く無意味で非生産的である。私の意見が活かされることを願うばかりだ。