じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] そろそろミモザの花が咲く頃だと思っていたところ、学生からひと枝だけすでにさいてますよと教えてもらった。特別に日当たりがよい場所でもないのだが、確かに咲き始めていた。


2月15日(日)

【思ったこと】
_40215(日)[心理]批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ(4)ある対策を実行した場合のメリットとリスクと、それを実行しなかった場合のメリットとリスク

 2月8日(土)に京大で行われた表記ワークショップの感想の続き。

 3番目は平山氏による「批判的思考の態度が対立する議論の解釈に及ぼす効果」という話題提供であった。批判的思考(クリティカルシンキング、以下「クリシン」と略す)を身につけるためには、信念によって情報をゆがめて解釈・判断する傾向を防がなければならない。というか、それを防ぐためにクリシンが必要だとも言える。

 ここで取り上げられたのは、「環境ホルモンは人体に悪影響を及ぼす」という信念であった。この信念が強いと、「環境ホルモンは影響を及ぼしている」という報告書と「環境ホルモンの影響は不明である」という報告書の両方を提示された時、2つの報告書に基づいて、公正な結論を出すことが難しくなる。つまり、裁判長になったつもりで白紙の状態で2つの報告書を読んだ場合の正しい結論は

●環境ホルモンの人体への影響は未解明である。

ということになるが、「環境ホルモンは影響あり」という固い信念があると、信念と矛盾した情報にふれても、それを受け入れることが難しく、報告書に基づかない結論を出してしまうのである。この研究自体はさらに分析が進められ、信念と矛盾した情報の適切な評価には、クリシンの態度である「探究心」を強めることが重要であるとの結論に至った。




 この発表で私が感じた素朴な疑問は、「環境ホルモン」について正しいとされた結論である。
確かに2つの報告書:

(1)環境ホルモンは影響を及ぼしている
(2)環境ホルモンの影響は不明である

のいずれもがウソでないという前提のもとでは、純粋論理的には、

●環境ホルモンの影響は未解明である

という結論が正解となるのだろう。公務員試験や法科大学院の適性試験などでは、おそらくそのように扱われるに違いない。

 しかし、そもそもクリシンは思考ゲームではない。現実の行動選択や政策決定に活かせるものでなければ意味が無い。相反する報告に対していつまでも「未解明」を結論としていたのでは、手遅れとなる恐れが強い。

 要するに、我々の行動は、そこに課せられているニーズ(要請)に依存しつつ、それを実行した場合のメリットとリスクと、それを実行しなかった場合のメリットとリスクを総合的に勘案して決定されるのである。、

●環境ホルモンの影響は未解明なので、当面は対策をとる必要がない。

と決定するか、

●環境ホルモンが絶対に影響ないと断定できない以上、疑わしい物質の使用は許可しない。

と決定するのかは、もはや論理的判断ではない。健康へのリスクの大きさや経済的影響に基づく政治的な判断とならざるをえないのである。これは、いま問題となっている、BSEや鳥インフルエンザ対策でも同様である。




 「クリシン」の視点としてさらに考えなければならないのは、「すべてAであるか」、「すべてAでないか」というような二者択一、あるいは二律背反的な問題を設定することの不毛さである。

 こちらの資料集でも何度か取り上げたことがあるが、

(1)血液型と性格は関係がある
(2)血液型と性格は関係が無い

というような二律背反的な問題設定はそれ自体全く意味をなさない。血液型性格判断信奉者がいくら有利な証拠を並べたところで、「血液型はすべての性格に関係がある」とは言えないし、逆に、「血液型と性格は全く関係がない」と主張しようとしても、あらゆるケースを尽くして検討することは原理的に不可能である。

 では、上記の正解と同様、「血液型と性格の関係は未解明である」と結論すればそれでよいのか、...それでは学問は進歩しない。

 血液型性格判断資料集でも主張しているように、この場合にとりうる唯一の科学的態度は、

(1)「血液型と性格は関係ない」という作業仮説のもとで、さまざまな行動特性について検討を重ねる。
(2)ある行動特性において関係のあることが一貫して確認された場合は、血液型が及ぼす影響程度や範囲についてシステマティックに情報を収集する
(3)影響が日常行動に及ぶほど重大であると確認された場合に限って、初めて、「相性」や「適性」などについて具体的な提言をおこなう

というステップを踏むことであろう。とはいっても、(1)や(2)は多大な時間と金銭的コストがかかる。税金を投じてまで研究する価値があると確信できない以上、それを検討しなかったからといって心理学者がサボっているとは言えない。血液型が交通事故の死亡率や癌の発生率に影響を及ぼすというような証拠が出てくるなら、国費を投じてでも検討する価値があるだろうが。

 血液型性格判断信奉者のいちばんの欠点は、都合のよいデータだけをつまみ食いして取り上げるばかりで、何年たっても何十年たっても、実証的、体系的、実用的な理論体系を構築できないことである。




 元の話題に戻るが、対立した2つの立場がそれぞれを支持する情報を提示した時、信念によるバイアスがかかることは間違いない。しかし、そこでのクリシンとは、単に、2つの立場を公平に扱う(=「反対する人の意見もちゃんと聞きましょう」)ということではない。
  • その対立はどのような背景によって生じているのか。
  • ある対策を実行した場合のメリットとリスクと、それを実行しなかった場合のメリットとリスクはそれぞれどんなところにあるか。
  • 「未解明である」と結論づけて何も行動しないことのリスクは無いのか。
について適切な判断を下せるようになることが真のクリシンではないかと思う。次回に続く。