じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 早々と雛人形を飾る。


2月11日(水)

【ちょっと思ったこと】

「最後の牛丼」現象

 各種報道によれば、牛丼チェーン「吉野家」(「吉」は「土」に「口」)は11日、米国産牛肉の輸入禁止のあおりを受けて牛丼販売を休止した。各地の店には「最後の1杯」を求める客が詰めかけ、中には「何で牛丼が無いんだ」と暴れた男まで出たという。

 それにしても、「最後の1杯」で賑わったというのはちょっと不思議である。そもそもの発端は米国の牛にBSE感染が確認され、米国から輸入していた牛肉の在庫が底をついたことにあるはずだ。普通、O-157騒ぎの時のカイワレ大根、ダイオキシン風評の野菜などの例を見ても分かるように、事なかれ主義の日本人は、危険が指摘されると過剰に反応しがちである。実際、国内でBSE感染牛が確認されて以来、焼き肉屋やステーキ屋は苦境に立たされているはずだ。今回の件など、まさに米国産の牛肉が疑われているのに、それを承知で店に詰めかけるというのはどう説明すればよいのだろうか。

 おそらく、大多数の日本人はすでにBSE慣れしてしまい、牛肉を敬遠しなくなっているのだろう。そこでタイミングよろしく「牛丼休止」というのは、「引退」を表明した歌手が注目され観客が殺到するのと似ているようにも思う。

 中年層にとって「牛丼」が忘れられない味になっていることも、「最後の牛丼」人気の背景になっているのではないか。私自身も、かつて院生時代、下宿で年越しをした時に牛丼のお世話になったことがある。いまでこそ元旦営業の店も増えているが、かつては正月三箇日は、自炊をしない独身者にとっては満足な食事をとることのできない辛い3日間だった。下宿周辺の食堂はすべて休業。スーパーも休業。食事を提供してくれるのは、割高な観光地の食堂か、駅弁くらいのものだった。そんななか、大晦日から元旦にも店を開けていた吉野家はありがたかった。洛北高校前の交差点に吉野家ができたことを知り、元旦には2食続けて食べに通ったことがあった。若いとき、独身の寂しさに耐え、いろいろ苦労しながら牛丼を味わってきた人たちにとっては、せめてもう一度食べたい味となるのだろう。

 わずか1頭のBSE発覚で牛丼休止に追い込まれた吉野家には同情的な声がほとんどであるように見受けられるが、本当は、ものすごい宣伝効果になっているのではないだろうか。このような騒ぎが無ければ、常連客以外は店の前を素通りしていたに違いない。それをNHKを含めたマスコミが宣伝費無料で大々的に取り上げてくれるのだからたまらない。どうせ米国には逆らえない日本のことだ、数ヶ月後に輸入再開となれば、またまた客が押し寄せてくる。トータルで増収になるのではないだろうか。