じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] アネモネが、まもなく今年最初の花を咲かせる。昨年は3月9日に開花の記録がある。なぜこんなに早くなったのか分からない。球根が古くなってきたせいだろうか。


1月29日(木)

【ちょっと思ったこと】

薬局の待合所は病名バレバレ

 コレステロールを下げる薬を受け取りに薬局に行ってきた。

 処方箋受付の薬局というのは通常、4〜5人が座れる長いすがあり、隣接した病院からは次々と患者がやってくる。薬剤師はそれぞれの患者に薬の作用や副作用について説明するのだが、個室ではないので待合室全体にその声が聞こえてしまう。「コレステロールを下げるお薬です」程度なら大声で言われても恥ずかしくないが、病名を知られたくない若い女性などは気になるのではないだろうか。

 私の前に薬を受け取った患者は「インフルエンザですね。 このオクスリは....、このオクスリは....」と説明を受けていたが、こんな時期にうつされては大変と、その人が外に出るまで息を止めてしまった。しかし、待合室内には他にも、ゴホンゴホンと咳の止まらない患者も居た。これではまるで風邪をうつされに薬局に行くようなものだ。

 昨年12月10日の日記にも書いたが、最近は週刊誌などでコレステロールを下げる薬の功罪が取り上げられているようだ。このさいやめてもいいと思いつつ、結論を先延ばししてしまう。

【思ったこと】
_40129(木)[心理]心理学研究の目ざすもの

 今年度後期の授業もそろそろ終わりに近づき、修論試問、各種合同演習、卒論試問などを行う時期となってきた。

 学生の発表を聞いていると、20年前、30年前とは研究方法がずいぶん変わってきたものだと実感する。というか、私の場合は意図的にそのように指導してきた。全国の心理学系教員の中には、学生・院生の時から全く同じ方法だけで研究を続け、「○○研究の40年」といった退官講義を行い、いくつかの論文が賞を受けたり著名研究者から引用されたことを誇りにしている方もおられるが、少なくとも私はそういう道はとっくの昔に放棄した。心理学の研究法は日々改善されるべきものであり、また、過去に行われた諸研究の意義を歴史的に見直すという作業も継続的に行っていく必要があると考えている。そのさい、「同時代の心理学者に多大な影響を与えた」といった内輪話では不十分、現実社会に何を伝えたのかが明らかでないと、価値は低いように思う。

 意外な社会現象について説明を求められたとき「心理学では、次のような実験で検証されています」などと解説する心理学者がいるが、あれは大部分ウソだと思う。本当は「検証」したのではなくて、実験場面で同じようなことが起こることを再現しただけである。物理実験の再現には重要な意味があるが、心理学の場合は、関与する要因があまりにも多くしかも個々に独立していないため、現実離れした研究になってしまう恐れが大きい。

 実験研究はそれでもよい、操作的に定義された範囲でモデル構成し、理論のための理論になっても学問として成り立つ、と考えている研究者もいるようだが、私には税金の無駄使いであるように思えてならない。実験的アプローチが有用な心理学分野は、今後は、知覚や記憶など、神経生理学的機構との対応がはっきりした対象に限られてくるのではないかと思っている。

 実験的方法に代わって最近、少なくとも私のゼミ内で盛んに行われるようになったのが面接法である。現実に直に向かい合うという点では、得られる情報が多いし、学生にとっても貴重な体験になるとは思う。ただし、面接法では、対象者が記憶している範囲、あるいは言葉で語られる範囲の内容しか伝わらないので、外部環境がどういう影響を及ぼしていたのか本当のところは分からない可能性もある。

 結局、観察法(縦断的、横断的)や質問紙法、そのほかいくつかの方法を組み合わせて、何とかして価値のある情報を引き出そうというのが今の研究のスタイルの主流となっている。

 心理学研究はあまり大きな理論を目ざさなくてよい、と思う。ある現象を対象とした時、心理学研究を行った場合のほうが、行わなかった場合と比べて何らかの改善、行動指針確立、情報の簡素化、予測等をもたらすならそれで研究の価値がある。その目的は決して仮説検証ではない。行動原理の適用範囲の拡大であってもよいし、多様性の枠を広げることであってもよい。いま卒論を書いている人たちは、自分の研究が、それをしなかった時に比べて何を新たに提供しているのか、考察のどこかに明記しておいてほしい。