じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 植栽の敷石に黄色い蝶が止まっていた。図鑑で調べたところキチョウのようだ。こちらによれば、成虫のまま越冬し、早春から飛びはじめるという。


1月28日(水)

【思ったこと】
_40128(水)[心理]「何かをする場所」と「何かをしない場所」

 心理学関係の会合の中で、「何かをする場所」と「何かをしない場所」の違いが話題になった。

 我々が特定の場所に通ったり、一定期間滞在したりするのは、そこで何かをするためである。つまり、そこで特定の行動が強化されるから行くのである。学校は「勉強する場所」、職場は「仕事をする場所」、レジャー施設は「遊ぶ場所」、...という訳だ。

 しかし実際には、「何かをする場所」は「何かをしなければならない場所」である場合が多い。何かよいことが起こるがゆえに行動するのではなく、行動しなければ何かを失う、あるいは嫌なことが起こるがゆえに「させられている」のである。行動分析でいうところの「阻止随伴性による強化」だ。

 何かをさせられてばかりいることにくたびれた人たちは、「何かをする場所」よりむしろ「何かをしない場所」を求めるようになる。

 お正月にテレビの前でごろごろするのは無駄で活気が無いように見えるが、これは日頃の義務的行動が免除されているという点で「何かをしない場所」である。温泉旅行も同様で、仕事や家事をしなくて済むことが最大の魅力になっているのである。

 不登校児のためのフリースクールにも似た意義がある。極度の引きこもりを改善するには、「何かをする場所」以前に「何かをしなくて済む場所」を自宅の外に作ってやらなければならない。

 このように「何かをしない場所」は、少なくとも過渡的には意義のある居場所となるが、高齢者施設の場合はどうだろうか。この日記でも何度か書いているように、「働かなくても済む場所」だけではどうやら不十分であり、最低限、「何かをする場所、ただし、しなくてもよい場所」であることが必要というのが、私自身の主張である。

 昨日さらに話題になったのは、「何かをする」の中身の問題である。オーストラリアの施設で多く導入されているというダイバージョナルセラピーの基本は個の尊重と「目的をもった遊び」にあると言われるが、日本の今の世代のお年寄りの場合には、むしろ、「周りの人たちに役に立つ」状況をつくることが生きがいになるという考え方もある。今のお年寄りの中には、個人的な趣味に興じるよりも周囲に貢献することに高い価値を見いだす人も多い。見かけ上は「させられている」ように見える家事雑事であっても、役割分担が明確であれば「やりがい」になるという訳だ。もっとも、いまの10代、20代の若者が高齢者になった時に同じ価値観が通用するとは限らない。だからこそ、画一的な福祉ではなく、お年寄りが生きてきた時代背景を理解し、個人個人の価値観に合わせた居場所づくりを考えていくことが求められているのである。