じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 12月20日から21日にかけて岡山でもわずかながら雪が降った。21日朝は、車のフロントグラス、畑の畝、バイクの腰掛けの上などにうっすらと残雪あり。なお同じ岡山県南部でも、東部のほうでは数センチの積雪があったとか。


12月21日(日)

【思ったこと】
_31221(日)[一般]「地上の太陽」は必要か?

 各種報道によれば、ワシントン近郊で20日、国際熱核融合実験炉(ITER=イーター)の建設地をめぐる計画参加国の閣僚級会合が行われたが、青森県六ケ所村を候補地に推す日本、アメリカ、韓国と、南仏カダラッシュを候補地に推すEU、ロシア、中国との間の合意は成らず、総事業費1兆3千億円の巨大プロジェクトの行方は来年に持ち越された。

 この「ITER」なるものは、重水素と三重水素を1億度以上に熱して核融合半を起こす実験炉。実際に発電などを行うのは今世紀末になりそうだという。

 核融合炉建設推進を唱える人たちはおそらく、
  • 燃料1グラムで石油8トン分のエネルギーが得られることによる化石燃料からの脱却。
  • ダム建設による環境破壊を食い止める。
  • 現存の原子力発電との連携
などをその理由に挙げるだろう。また誘致による地域活性化に期待を挙げる人たちもいるはずだ。

 一方、どういう論調があるのかは詳しく調べていないが、この種の施設建設に反対をする人たちはおそらく
  • 放射性廃棄物による環境汚染の問題。20年間の運転で、約3万トンの低レベル廃棄物が出るとか。
  • テロや人為的なミスによる大事故の恐れ。
  • 開発技術が軍事技術に転用される恐れ
などをその理由に挙げるだろう。




 原発論議はしばしばこうした「安全論議」に終始してしまいがちであるが、そろそろ全く別の次元からの必要論、不要論が論議の中心になってもよい時代ではないかと思ってみたりする。

 まず、そもそも、人類はそんなに莫大な人工エネルギーを必要としているのか、ということを真剣に考えるべきだ。もともと人類は、太陽と大自然の恵みを受けて、循環型の消費だけで幸せな生活ができるように進化してきた。もちろん今の時代、クルマを動かすにはガソリンが要るし、テレビやエアコン、電気釜、電子レンジ、洗濯機、...というように電気エネルギーなしでは暮らせない世界に生きている。しかしこの程度のエネルギーならば、いま獲得可能な供給源だけでも何とかやっていかれそうな気がする。特に日本の場合は、太陽、風力、海洋(波や潮汐)、地熱、水力(←ダムを建設しなくても水車のような形で利用可能)というように国土は自然のエネルギーに満ちあふれている。まずは、これらを低コストかつ持続可能な形で利用するための研究に力を入れるべきではないだろうか。




 核融合エネルギーが利用できるようになれば、たとえば海水をどんどん蒸留して砂漠を緑地に変えるとか、強力な照明・暖房設備のもとで北極圏でも作物を育てるとか、海中に巨大都市を造るとか、それこそ月や火星に移住するということができるようになるかもしれない。

 しかし、そのことによって個々人がいま以上に豊かになるとは考えにくい。そもそも食糧増産とか移住というのは、人口が急増して現状維持が難しくなった時にやむをえずとられる対策である。いまの日本のように少子化が進む社会にあっては、住めない所を無理に住めるように作り替える必要はない。人口急増地域にあっても、いずれは適正な人口規模に落ち着くようになるだろう。

 人工のエネルギーに依存すれば、自然災害からフリーな安定した生産が保障されるように思いがちである。確かに、冷害や干害には強くなるだろう。しかし、何らかの人為的ミスで供給がストップしてしまった時には、人工エネルギーに頼らなかった時代以上に深刻な被害を被るものである。夏に起こったニューヨークの大停電などはそれを予感させる。真冬に同じ事故が起これば凍死者が続出したに違いない。人工エネルギー依存社会ほど事故に脆弱な社会はあるまい。




 利用可能なエネルギーが多ければ多いほど幸福な社会が実現するという発想は、「労働は自由を束縛する」という西欧的な労働観に根ざしているようにも思える。しかし、この日記でもしばしば引用する『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(内山節、1998年、岩波書店、ISBN4-00-023328-9)が指摘したように、働くこと自体は本来は生きがいの根源になりうるものだ。にもかかわらず我々は、「労働の自由」ではなく「労働からの自由」を求めるようになってしまった。

 利用可能なエネルギーを無限に手に入れた時、果たして人類は、汗を流して働き、その結果として収穫したり完成品を作るといった喜びを得ることができるだろうか。一日中テレビの前で食っちゃ寝、食っちゃ寝を繰り返し、体脂肪を蓄積して肥満し、けっきょく、フィットネスクラブに通って、生産活動とは全く無縁の運動でムダなエネルギーを費やすことになりはしないか。

 核融合の開発者には申し訳ないが、核融合エネルギーの利用より前に、我々はもっと、自分の体に蓄えられるエネルギーを生きがいのために活用する方策を考える必要があるように思う。