じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 行きつけの花屋からプリムラを買ってきた。園芸品種とはいえ、これだけ色が豊富な花は他にはないと思う。


11月29日(土)

【ちょっと思ったこと】

来年の天文現象の見どころ

 注文しておいた『天文年鑑』2004年版(誠文堂新光社)が届いた。これを機会に、今年の天文現象を振り返り、来年の見どころをメモしておくことにしたい。ちなみに『天文年鑑』は2004年版で創刊56年になるという。私自身は1964年版から毎年講読を続けており、今回が41冊目ということになる。



 さて、2003年は何と言っても火星の大接近が最大イベントであったことには誰も異論を差し挟まないだろう。チチカカ湖の東の空に現れた火星は迫力があったが、むしろ9月以降の秋の空のほうが明るさが引き立って見えた。

 NEAT彗星(2002 V1)が、2月18日に太陽に大接近(地球〜太陽間の1/10の距離)し、フレアに飲み込まれそうにな映像が太陽観測衛星SOHOによって撮影されたがこれも相当の迫力である。

 このほか、水星の日面経過が5月7日に観測されたが、見え方としては黒い円盤が太陽表面を横切るように見えるだけ。むしろ10月29日の日記に書いた「肉眼黒点」のほうが迫力があった(この黒点は先日の南極皆既日食の時にも出現していた)。




 次に『天文年鑑』を開いて来年の見どころを探ってみる。今年の見どころは5月17日〜28日頃に大接近する2つの彗星と、6月8日に起こる金星の日面経過に集約されそうだ。

 5月に接近するのは、リニアーLINEAR彗星(C/2002 T7)とニートNEAT衛星(C/2001 Q4)であるという。「リニアー」とか「ニート」という名前は毎年のように耳にするので、同じ彗星が何度もやってくるのかと思ってしまうが、いずれも彗星探索のプロジェクト名(例えばNEATは「NEAR-EARTH ASTEROID TRACKING」)をそのまま彗星名としているためであって、発見数が増えれば増えるほど同じ名前の彗星が次々と出現して記憶を混乱させることになる。何とかならないものだろうか。

 『天文年鑑』によれば、(今回やってくる)ニート彗星は5月6日に0.32AUまで、リニアー彗星のほうは5月19日に0.27AUまで地球に接近するため、長い尾が見えるかもしれないという。但し、最接近時は南半球でないと見えないらしい。ま、明るいと言っても、ヘールボップ彗星には至らないだろうが、尾の長さは百武彗星なみになるだろうか。そう言えば、百武彗星の発見者の百武祐司さんは2002年4月10日に51歳の若さで亡くなられていた。

 6月7日の金星・日面経過は14時11分頃から始まり、日本では食が終わらないうちに日没を迎える。この現象は1882年以来なんと122年ぶりであるという(但し、2012年6月6日にももう一度見られる。金星軌道との傾きの関係で130年ごとに8年を隔てて2回ずつ起こるようだ。またその時期は6月7日頃と12月9日頃に限られている)。太陽や金星までの距離が分かっていなかった時代には、地球上の複数の観測地点で時刻のズレを正確に測ることにはまたとない意義があった。じっさい、1761年と1769年の観測の結果、地球と太陽の距離が約1億5000万kmであることが測定されたという。

 現在では、天文学上の意義は昔ほどないかもしれないが、100年単位で起こるという稀少的価値はあるかと思う。上に述べた「肉眼黒点」ほど大きくないが、太陽直径の1/30ほどの円盤が通過する様子は、日食グラスなどの特殊な減光フィルターを使えば「肉眼」でも眺められるはずだ。





イラクは親米民主主義国家にはならない

 イラクでは相変わらず米国やその協力国の軍隊、建物等へのテロ攻撃が続いているという。この日記執筆時点ではまだ未確認だが、29日夕刻(現地時間)に日本人2名が殺害されたとの情報も入っている。

 イラクが日本をモデルとするような親米国家にはなり得ないであろうということは前にもこの日記に書いたことがあるが、昨今の情勢を見るとますますその推測に確信を深めざるを得ない。

 イラクがなぜ親米国家にならないのかを考えることは、日本が戦後60年近くたってもなぜ親米的であり続けているのかを考えるカギにもなると思う。

 歴史については全くの素人であるが、私は、経済の源を何に求めるかということと、民族や宗教上の対立の違いの2点が主要な理由であるように思える。

 今の日本が、何だかんだと言いつつアメリカに協力し続けているのは、それが得であるような経済的背景が続いていたためである。戦後間もない時期に勃発した朝鮮戦争は日本経済の復興に著しい効果をもたらしたし、その後の高度成長も、基本的には、米国依存型の貿易に支えられてきたところがある。

 いっぽうイラクは、どう国が変わっても、工業や農業ではなく、石油を売って成り立つ国である。親米的でなければ困るという理由はどこにもないのだ。




 イラク人がアメリカや日本型の民主主義を望んでいるかどうかもはなはだ疑問である。確かにアメリカでは、多民族の利害対立や人種差別を克服して、現在ある形のような政治システムを確立した。しかし、これは、多くの犠牲と何十年にもわたる主体的な努力の積み重ねの結果である。実際、ほんの数十年前までは人種差別が当たり前のように行われていた。

 日本ではアメリカ型の民主主義が本当に根をおろしているかどうかは疑わしい。しかし、これといった対立が起こらないのは、日本の政治が(日本にも少数民族問題が存在していることは十分に承知しているが)実質的に単一民族によって運営されており、多少の対立が起こっても最後は妥協するような形で衝突を吸収するような仕組みが自然に組み込まれていたためであろうと思う。アメリカ型の民主主義は、理屈の上では理想かもしれないが、平和な生活を保障するために用いられる、人類にとっての最善のツールであるかどうかは、まだ歴史的には実証されていないように思う。




 そんななか、やれ大量破壊兵器だとか、テロ撲滅だとか言っても、現実に民間人の住む地域に容赦なくミサイルを撃ち込む米軍が歓迎されるはずがない。100年後の歴史教科書において、ブッシュ大統領の名前は確実にそこに記されるであろうが、その評価は、限りなくマイナスに近いものになるだろう。