じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] [今日の写真]  16日(日)は、夫婦で、県西部・川上町にある「磐窟(いわや)洞」と、隣の成羽町にある「吹屋(ふきや)ふるさと村」を訪れた。
案内パンフによれば、磐窟洞は昭和41年(1966年)に、それまで知られていた奥行60mの鍾乳洞の奥を爆破してところ発見された。閉塞型鍾乳洞として日本最大であるという。

 鍾乳洞はこれまで20カ所(直近ではボリビアのサン・ペドロ洞)ほど訪れたことがあるが、この鍾乳洞は規模は小さいものの、鍾乳石・石筍の透明度や結晶の美しさという点では随一と言ってもよいと思う(写真左)。

 吹屋ふるさと村は、「ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な堂々とした商家・町屋が500メートル」にわたって連なる街並みのほか、銅山の坑道や、映画のロケで有名な広兼邸などから構成され、県西部の主要な観光名所となっているが、これまで一度も訪れたことが無かった。

 街並みから少し離れた高台には、いまだ現役として使用されている吹屋小学校の校舎があった(写真中)。日曜日であったため校舎の周囲を間近に見学することができた。この校舎に魅力を感じたのは、何と言っても、私が通っていた頃の小学校校舎そっくりであったためだ。玄関左横の理科室をガラス越しに覗いてみると、試験管、望遠鏡、顕微鏡などのいろいろな器具が置かれてあった。小学生時代の私にとっては、理科室ほど夢をかきたてる空間は他に無かった。

 このふるさと村にはベンガラ館、広兼邸、郷土館、坑道、という4つの有料施設があり、共通割引券700円で入場することができた。妻は、映画「八ッ墓村」のロケ地であった広兼邸が気に入ったようであったが、ベルヌの『地底探検』の影響で洞窟探検が大好きな私のほうは、笹畝坑道(ささうねこうどう)が一番面白かった(写真右)。



11月16日(日)

【ちょっと思ったこと】

バレーボールの新奇な(←じぶん比)ルールに驚く

 夕食時に娘が「ワールドカップバレーボール男子 日本×エジプト」の試合中継を観ていた。バレーボールの試合中継というと、東洋の魔女で知られる東京オリンピックの時と、京都の下宿で、大家さん一家と深夜まで観たオリンピック男子バレーのブルガリア戦が印象に残っているが、ここ20年以上は全く縁がなかった。

 久しぶりに観て、おやっと思ったのは、サーブ権が無くても点がどんどん入っていくことだった。そういや、上記のオリンピックの時もそうだったが、バレーボールというのはサーブ権の取り合いで試合時間がやたら長くなるという欠点があった。いつからのことか知らぬが、このルール改正は成功であったと思う。

 しばらく観ているうちに、さらに妙なことに気づいた。両チームとも、選手の一人が違う色のユニフォームを着ていたのである。これは何だ?と、子どもたちに聞いてみると、息子が、「あれは確か、リベロ・プレーヤーというはず」だという。そのうち娘が、中学体育実技のルールブックを持ち出してきたが、それによると、どうやら交代可能な守備専門要員ということであったが、素朴に考えると、プレーヤー数が変わらないのであれば、守備専門要員よりは、守備も攻撃もできる選手を揃えたほうが有利であるように思われる。いったい何を面白くするために導入されたのだろう?