じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] レオノチス。小さな鉢植えで買った苗が毎年この時期にたいまつが燃えるような花を咲かせている。


11月13日(木)

【ちょっと思ったこと】

外来語言い換え最終案

 国立国語研究所は13日、第2回の検討対象であった47語について、言い換えの最終案を発表した。8月の中間案から変更があったのは、「アイデンティティ」、「ノーマライゼーション」など6語、いっぽう「ユビキタス」など5語については結論を先送りしたという。

 この話題はWeb日記ネタになりやすいこともあって、報道されるたびに取り上げているが、今回も幾つかの言い換えについては、違和感を感じざるを得ないところがある。例えば「インセンティブ」は「意欲刺激」だというが、そんな用語は行動分析では存在しない。曖昧な使い方を避け、「強化刺激」なのか「弁別刺激」なのか「確立操作」なのか、を明確に区別していけば、「インセンティブ」などと言うよりももっと建設的で生産的な議論ができるようになると思う。使用語自体の曖昧さが、議論全体を曖昧にするという弊害をもたらしている事例であると言えよう。

 「アイデンティティ」は「独自性」もしくは「自己認識」と言い換えられているが、「独自性」はむしろ「ユニーク」や「オリジナリティ」に近いように思う。「同一性」という言葉はなぜ採用されなかったのだろうか。

 いっぽう、ノーマライゼーションを「等生化」とするのは名訳であるとは思う。もっとも、「等生」は少なくとも私の辞書には載っていないし、漢字変換もできない。言い換えというのは、すでにある日本語に対応づけするのが本筋。漢熟語を「造語」するというのであれば別の議論が必要だ。それと、別の言い換えとして「ノーマライゼーション→等しく生きる社会の実現」というのもあるが、「等しく生きる」だけでは、機会の平等なのか、結果の平等なのかがはっきりしない。

 「グローバリゼーション→地球規模化」などは、現実に合わせて「米国型規範の地球規模制覇」としてもよいかも。となると「国際貢献」は「米国下請けパフォーマンス」か。

1114追記]
こちらに一覧表があり、各語をクリックすると言い換え例などが提案されている。「アイデンティティ」については、「その他の言い換え語例」のところに「自己同一性」や「帰属意識」が提案されているようだ。
第一回の提案はこちら
【思ったこと】
_31113(木)[教育]鹿大FD研修会(4)双方向授業を行うか、リストラされるかという危機感も必要

 鹿児島大学で行われた「FDワークショップ」の感想の4回目。
 11月8日朝のミニレクチャー後半(長谷川自身が担当)では、授業の中での双方向性(→しゃべりっぱなしにならない授業)について、私なりの考えを述べた。

 まず、10月29日に岡大で行われた、杉原厚吉先生の講演で学んだことを簡単に紹介(こちらの連載参照)したあと、大人数の授業では
  • 質問者が特定人物に限られることへの対応→質問券配布やシャトルカード利用により全員に質問機会を与える
  • 質問を受講生全員で共有する方策→個別に回答するのではなく、授業中に紹介するほうがよい。
  • 質問のレベルアップ、議論の文脈をふまえた建設的な意見を引き出す方法
が必要ではないかという考えを述べた。

 また、私が考える双方向授業とは、決して、90分〜100分の講義時間内だけに限るものではなく、予習復習指導や、ネット上でのやりとりを含むものであることを強調した。




 双方向授業を行うことに積極的意義を見出すべきであることはもちろんだが、少子化やメディアの多様化等により、双方向授業を行うのか、それとも教員を辞めさせられるのかという外圧があることを忘れてはなるまい。このことは、11/8午前中のワークショップ終了後に講評の際に強調させていただいた。すなわち、今や
  • 外部試験による外国語科目の単位認定
  • ビデオ教材、特に放送大学教材の活用
  • パソコンを利用したインタラクティブ教材
  • ネットを利用した遠隔授業、SCSなどの活用
が導入されつつある。これらはいずれも人件費抑制により大学の経営安定をもたらす効果がある一方、教員のリストラにつながる可能性も大きい。少子化があろうとなかろうと、学生が、講義室で行う授業よりも、上記のようなメディアを活用した授業のほうに魅力を感じ、かつ、実質的にそちらのほうで教育効果が挙げられることが実証されたなら、もはや生身の教員は不要となるだろう。

 少々大袈裟かもしれないが、もはや「余力があればやってみよう」などと呑気なことは言っていられない。このくらいの危機感を持つことが必要だと思う。




 なお、上記の予復習徹底のためにはTAの活用が求められる。しかし日本ではまだまだTAが形だけの導入に終わっており、講義とTAによる補習をセットにしたようなカリキュラムが実現していない。実際、TAだけに演習を担当させれば違法となる。

 TAに予復習指導や補習指導を担当してもらう制度を実現するには、TA自身に対する研修を行ったり、TAのキャリアや指導力に応じて給料をアップするようなシステムが合わせて必要である。今後このような意義をふまえた制度改正が求められる。次回に続く。