じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 今回の宿泊研修地であった、鹿児島県・いこいの村いむた池の風景。いむた池というのは、相当に古い火口湖であるらしい。池の周囲を外輪山が取り囲み、一カ所だけ川に通じていた。但し、水位が低い時は流れ出ない。 [11/9追記]
こちらによれば、「藺牟田池は,飯盛山の噴火により,火口に水を堰塞してできた藺牟田火山の中央部にある火口湖で,周囲約4qの浅池」だそうだ。


11月8日(土)

【ちょっと思ったこと】

鹿児島は暑かった

 鹿児島で行われた2泊3日の研修会(FD関係)から戻ってきた。第一印象は岡山に比べてかなり暑いということ。飛行機の中では、行きも帰りも鹿児島のほうが4度高いと言っていた。6日〜8日の最高気温と最低気温を実際に比較してみたところ、
  • 鹿児島の最高気温:29.5度、26.4度、25.1度
  • 鹿児島の最高気温:22.5度、21.3度、15.4度
  • 岡山の最高気温:22.2度、23.1度、22.7度
  • 岡山の最高気温:16.0度、15.8度、14.0度
となっており、特に6日は、岡山が16度〜22.2度、鹿児島が22.5度〜29.5度というように気温の重なりが無く、いかに温度差があったかが分かる。

 今回は分刻みのスケジュールの上、学長への表敬やレクチャーなど責任重大な任務もあってくたびれた。次回はのんびりと温泉につかって過ごしたいものだ。

【思ったこと】
_31108(土)[一般]同窓会と浦島太郎ショック

 1998年5月20日の日記で、「卒業30周年記念の同期生の同窓会」の記念写真を送ってもらった時の衝撃を記したことがあった。最近、同窓会活動を活発に行っている方とネット上で連絡をとる機会があったので、その時の日記urlをご紹介したのだが、これは失敗であった。婉曲的ながら不快感を表明されてしまった。

 じっさい、その時の日記には、写真に写っている同窓生たちをからかっている記述があった。
まず驚いたのは、写っているのはオヂさん、オバさんばかり。髪が薄くなっている人もいれば、しわだらけの人もいる。私より10歳は年上の人たちばかりのように見えた。
という部分であった。

 1つは、「オヂさん、オバさんばかり」、「髪が薄くなって」、「しわだらけ」というセクハラ?表現、もう1つは「私よりは10歳は年上の人たちばかりのように見えた」という自分との比較である。

 言い訳がましくなるが、私は自分自身を若いと思ったことはない。日記では書き足りなかったが、そのあとで鏡を見たら自分も同じように年老いてしまったことに気づく。要するに、同窓会での浦島太郎ショックというのは、
  • 突然タイムマシンで違う時代に連れてこられた時の衝撃
  • 玉手箱を開け、実は自分自身も年を取っていたことに気づいた時の衝撃
という二段階のセットとして構成されるものだと思う。

 もっともすべての同窓生が「そういうオマエだってオジサンじゃないか。髪は白いし、シワもシミも増えているぞ!」と冷やかし合える関係にあるわけではない。50代に突入したばかりの年代では、まだまだ「オヂさん、オバさん」と呼ばれることに反発する人もいる。80歳、90歳にでもなれば、そんなことも無くなるだろうが...。




 このことで思ったのだが、小・中・高あたりの同窓生への態度としては、人によって少なくとも3つのタイプがあるように思う。

 1つは、卒業後の交流に関心を示さず、転居しても連絡先を知らせないタイプ。別に嫌な体験があったとか、あの時の感激を壊したくないといった意図があるわけでもなかろうが、とにかく、過去のことは過去として封印し、同窓生との交流を煩わしく感じるタイプである。理由はどうあれ、そういう人達に対して、同窓会行事への参加を呼びかけるのは間違っているし、現在の住所や職業を詮索するのはプライバシーの侵害にあたることになると思う。

 2番目は、今でもなお頻繁に交流を続けるタイプ。但し、そういう人達の活動を同窓会活動と呼べるのかどうかはちょっと疑問である。彼らは要するに、同窓生であったということをきっかけに新たな人間関係を作り上げただけであり、名目は同窓会交流であっても実質は地域活動や同好サークル活動と同類である。極端な話、同じクラスの男女が結婚した時に、結婚生活が同窓会活動にあたると考える人は誰も居るまい。

 3番目は、ごく稀に再会することで、冒頭に述べたような浦島太郎体験の感慨に耽ろうというタイプである。私などはそれを求めているため、あまり頻繁に会いたいとは思わない。要するに、これから先の新たな人間関係の形成は全く求めない。人生の過去の一時期を懐かしむ目的だけで会おうとするのである。




 もっとも、この3番目の態度というのは、同窓生の人達に対してはずいぶん失礼な接し方であるということにようやく気づいてきた。

 久しぶりに会って浦島太郎体験をするというのは、生まれ育った町や、母校の周辺を歩いた時に得られる感動と同じ種類のものである。つまり、敢えてはなはだ失礼な表現をさせていただくならば、同窓生は、その限りにおいては街並み風景と何ら変わりないのだ。

 但し、くれぐれも誤解が無いようにお断りしておくが、同窓生の人間としての存在価値が街並み風景程度のものだと軽んじているわけでは決してない。一人の人間としての尊厳を前提としつつ、あくまで私自身からの接し方として、街並み風景程度以上の関わりを求めないということにすぎない。

 とはいえ、久しぶりの同窓会に出席して「私にとって皆さんは、生まれ育った街並み風景のようなものです。それ以上の関わりは求めません」などと挨拶したら袋だたきにあうに決まっている。「ふるさとは遠きにありて思うもの」というが、同窓会も遠きにありて思うのが私にとっては賢明な対応であるようだ。