じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 鹿児島大学構内のビロウヤシの並木。ビロウヤシ自体は、長崎に住んでいた時にもアパート近くの公園にたくさん生えていたが、これほど背の高い並木は初めてだった。
ちなみに鹿児島大学の敷地面積は3659万平米もあり、全国でもトップクラスの広さだ。このうち高隈演習林の3060万平米と圧倒的な比率も占めているが、それを除いても600万平米はかなり広い。


11月7日(金)

【ちょっと思ったこと】

ホームランドか物乞いか

 昨日に引き続き、鹿児島の宿泊先で視たNHK衛星放送の話題。6日夜に視た番組では、カンボジアの子どもたちのためのホームランドの話題が取り上げられていた。ホームランドには、親によって虐待されたり、ブローカーに手引きされてタイで物乞いをさせられていて強制送還・保護された子どもたちが暮らしている。親元に帰すと再び物乞いをさせられるため、園長としてもできる限り施設で暮らすように勧める。それでも親に連れ戻されたり、自分から出て行ってしまうケースがある。

 根本的な原因は、長年にわたる戦闘で農地が荒れ、また今なお地雷が残っているために農業に従事できず、都会でゴミの中からまだ使えるものや食べられるものを探して生活している人々が居るという点にある。こういう地域にこそ自衛隊を派遣して、地雷の撤去と農村への復帰を進めるべきではないのかなあ。

 子どもたちのジレンマは、親元に戻って少しでも家計を支えるか、それともホームランドで生活しながら教育を受け将来の自立に備えるかという点にある。

 この番組で思ったのは、資金の援助ばかりではなく、なぜもっと働く場を作ろうとしないのかということだった。ホームランド規則上、一定年齢以下の子供しか引き取れないようになっているというが、親子で一緒に生活することを第一に考えるならば、親にも仕事を与え、家族として人間的な暮らしができるように配慮すべきであろう。ODAの援助がそういう方向に向かわず、もっぱら金や物資、あるいはひも付きの工事に配分されていくのはやはり間違っていると思う。

 それと、番組で見る限りは、子どもたちはボール遊びに興じたり、おそらく学校に通ったり、お寺にお参りに行くなどの生活をしているように見えたが、収入を得るために働く喜びはどこでも教えられていないように思えた。子どもたちを働かせることは児童虐待にあたるとして国際的にも非難されているが。、働く喜びを実感させるためには、むしろ、希望する子どもたちに、毎日1時間程度の軽作業に従事させたほうがよいのではないかという気がした。

 ところで、この種の事実に対して自分はどう向かうべきか、ということはいつも頭を悩ます問題だ。たとえば私が趣味で出かけている海外旅行の資金を寄付すれば、何人かの子どもたちの教育に役立てることができる。しかし、いくら一人でがんばっても、ごく一部に貢献するだけにすぎない。またおそらく、どこかの団体に寄付する程度では、食糧援助程度にしか使われないだろう。ではそういう場で人的貢献をするべきかということになるが、それでは自分の一生をその場に捧げることになってしまう。

 自分自身はもちろんのこと、例えば自分の子供がそういう活動に参加したいと希望した時、どういう態度をとるべきか、大いに考えさせられる。