じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] [今日の写真] 農学部東西通りのぎんなん。実の熟し方は、すでに落ちて拾われたもの、これから熟す樹など樹によってかなり差がある。


10月10日(金)

【ちょっと思ったこと】

「,」か「.」あれこれ

 日記読み日記にも書いたが、10月13日からパリで行われる国際度量衡総会(パリ)で、英語表記における小数点を「.」に統一する決議が図られているという。17日に1国1票で裁決される。

 各種報道によれば、この決議を求めているのは、イギリス、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏。日本では「3.141592.....」というように「.」が当たり前のように使われているが、実は世界の国々では「,」のほうが多く使われているという。英語圏諸国は、英語が実質的に国際語となっていることを背景に「.」を主張するが、ISO(国際標準化機構)やIEC(国際電気標準会議)が2001年に出した指針では、記述言語にかかわらず「,」を使うと定めているという。また、英語表記で「.」に統一することに関しては、英語帝国主義や実質米国化のグロバリぜーションへの反発もあるようだ。

 このことに関して、そもそも日本ではいつ頃から小数点に「.」を使うようになったのか調べてみようと思ったが、現時点では情報が得られなかった。小数「」という呼称は「.(てん)」が先にあったことを連想させるが、日本語の「テン」は本来は「.」ではなく「、」のはずだ。じっさい縦書きで少数を表すとしたら「三、一四一五」となるのではないだろうか。

 ところで、朝日新聞などでは、「.」にはわざわざ「ピリオド」というルビが振られていた。日記読み日記にも書いたのだが、私はむしろこのことが気になった。私が疑問に思ったのは、「.」は「ピリオド」ではなくて「ドット」ではないかということ。念のためランダムハウス英語辞典で調べたが、やはり小数点の呼称は「ドット」のようである。但し、読み方は「ten point four two 10.42」という用例に示されているように、「ポイント」と読む。新聞記事で「ピリオド」を使ったのは、おそらく、コード表上ではピリオドという記号名称が与えられていたためかと思うが、上記の国際総会ではいったい何と発音されるのだろう。なお、インターネットのurlで使われる「.」が「ピリオド」ではなく「ドット」と呼ばれるようになった経緯がこちらに書かれてあった。




 今回の「,」「.」論争に関連して思うことは他にもいっぱいあるが、ここでは2点だけとりあげておきたい。

 1つは、桁数の多い数字の位取りに関して。小学校の算数の時間、日本では、4ケタごとに区切られるが、欧米に合わせて最近では3ケタごとに区切られることが多いと教わったことが確かにあった。もともと日本や中国は、「万」、「億」、「兆」というように4ケタで呼称が変わっているので、4ケタごとに区切ってこそ数の大きさがすぐに分かるようになっている。私はその利便性に納得して、中学、高校と、4ケタごとに「,」を入れて頑張っていたのだが、何度か3ケタごとに区切りなさいと注意されたことがあった。これは今でも納得できていない。3ケタ毎に区切れということは、法律で決められているのだろうか。

 もう1つは横書きの句読点に関すること。少し前まで、横書きの公文書は「,。」を使うことになっていたと思ったが、最近は官公庁のWebサイトでも、この日記と同様の「、。」を多く見かける。どこかで指針が改正されたのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。



阪神の20勝投手

 井川投手がセ・リーグ最終試合で3失点(自責点2)ながら勝ち星をあげ、阪神タイガースの投手としては小林繁投手以来24年ぶりの20勝投手になった。

 歴代の20勝投手リストが新聞に載っていたが、私自身は、小山、村山の時代は知らない。プロ野球に興味を持った頃はちょうど江夏の全盛期であった。

 そうしたなか1973年には、江夏が24勝、上田二朗が22勝をあげたが、最終試合で巨人に負けて優勝を逃した。この年は上田が中日に相性がよく、最終戦より1つ前の中日戦に登板していればたぶん勝っていたと言われている。ところが江夏がゴネて上田の代わりに中日戦に登板して負け、やむなく最終戦に登板した上田は巨人にメッタ打ちにあう。甲子園球場内は暴動状態となった。

 その後に20勝投手となったのは1979年の小林繁投手(22勝)であった。ドラフトで阪神に指名された江川がゴネたため、異例のトレードで巨人から移籍した投手であった。大相撲の高見盛のように、自分で頬を張って気合いをいれていた姿が印象に残っている。

 その後、確かに阪神にはエースと呼べるほどの投手は現れていない。私が記憶に残っているのは、江本と古沢ぐらいか。但し、リリーフの山本和行投手は、球界随一と言ってよいほどに安定していた。

 今回の井川20勝は、以前より10試合多い140試合の中でかろうじて達成した記録であった。それがセ・リーグの最多勝ということは、それだけバッティング技術が向上した証拠であろう。打者はバッティングマシンを使えばいくらでも練習できるが、投手はそんなに無理はできない。このほか、何が何でも完投勝利ではなく、先発ローテーションと「先発、中継、抑え」という管理野球がしっかりしてきたことも、結果的に勝ち数を減らしているのだろう。これから先は、200勝投手などは現れないかもしれない。

 ま、どっちにしても勝ち数は、味方が点を入れてくれるかどうかによっても変わってくる。井川の場合、20勝というよりも、防御率2.80のほうを誉めるべきかもしれない。