じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 夕陽を浴びるチチカカ湖。美しい湖ではあったが、こういう光景もあった。ラパスの露店で売られている飲み物もみなペットボトル入り。何とかしないと地球上が汚染されそう。


9月5日(金)

【ちょっと思ったこと】

「温水」は左、「冷水」は右?

 左利きの人が不便な設備の1つとして“「温水」は左、「冷水」は右”があると、某Web日記に書かれてあった。そういえばそうかなあと思って、大学内などいろいろ探してみたところ、少なくとも2カ所では確かにその通りになっていた。これって、統一規格が定められているのだろうか。

 そのことで思い出したが、ボリビアのホテルでは確かに“「温水」が左で「冷水」が右”になっていた。そのことに気付いたのは、温水がC、冷水がHの表示になっていたためであり、最初は「H」をひねっても全然お湯が出てこない。ためしに「C」をひねって熱いお湯が出てきて、そういえばここはスペイン語圏であったかと気づいた次第だ。但し、スペイン語では冷水は「F」となるはず。英語圏からの部品しかなかったせいだろうか。

 ではどこの国でも同じなのだろうかと、念のためネットで検索してみたが、旅行者を混乱させておりホテルも各所にあるらしいことが分かった。
  • こちらには、“イギリスの古い家屋のほとんどは、右がお湯、左が水。”と書かれてあった。
  • こちらによれば、メキシコは日本と逆、もしくは統一性が無いと書かれてあった。もっとも、この方は“日本では水を出す場合は左回り、右へ回せば止る”、“台所にしろ、お湯のノブと水のノブの位置、これが日本は左側に水、右がお湯と決まっている。”と書かれてあったが、回す方向はおっしゃる通りであるとして、位置のほうは上記の議論とは逆であるように思う。
  • ギリシャでは、お湯が左から出るが、青いマークと赤いマークが逆になってると書かれてあった。ま、これはそのホテルだけの、業者のつけ間違いかもしれない。


【思ったこと】
_30905(金)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(3)チチカカ湖の虚構と現実

 今回の旅行では、チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」に1泊し島内縦走のトレッキング、さらに湖畔のワタハタのチチカカホテルにもう1泊し、湖面からの夕景色や日の出を楽しむことができた。

 チチカカ湖については、何十年も前に視た兼高かおるや「なるほど!ザ・ワールド」などの番組で植えつけられたイメージが強く、現実とのギャップを痛感した。リャマやアルパカやロバで移動し、葦船で魚を捕り、またある部族の人達は未だに浮島の上で生活しているというのが、その当時の典型的な光景であったように思うが、もちろん現実は全く違っていた。

 こちらにアップしたアルバムにあるように、全体の印象としては、地中海沿岸のリゾート地といった感じ(特に写真13〜15)。葦船(写真18、20〜22)はもちろん、湖畔で飼われているリャマやアルパカ(写真30、33〜34)はもっぱら観光用であった。「太陽の島」のホテル周辺では、民族衣装をつけた子供がリャマをひきながら有料写真の勧誘をしていた。

 とはいえ、富士山より標高の高い湖面は真っ青に輝き、遠くの雪山とのコントラストはまことに美しい。いくら観光地化しても、この風景だけは失われないだろう。




 なお、アルバムでは湖全体をチチカカ湖と書いたが、この、海のような巨大な湖はペルー側から突き出した半島によって2つに分かれているようにも見える。ネットで調べたところ、北部はチュクイト、南部は「ウイニャマルカ湖」と呼ばれるようだ。

 「太陽の島」に渡る際には、2回も船に乗った。陸地から島に渡るのになぜ2回必要なのか、その時はさっぱり分からなかったのだが、今述べたように、半島の付け根がペルー領であるため、ボリビア国内だけを通って太陽の島に行くには、まず湖峡を渡らなければならなかったのである。湖峡の町ティキーナは、人を乗せる小型船や、バスを運ぶ「フェリー(艀)」の発着で活気にあふれていた(写真4、19)。

 ペルー側から突き出した半島には、よく整備された道路がコパカバーナに延びていた。途中、ペルー国境から100m足らずのところを通ったが(写真6)、金網や柵のようなものはバスの窓からは確認できなかった。ボリビアはチリとは国境をめぐって緊張があるが。ペルーとはきわめて仲が良い関係にあるらしい。




 なお、このあたりで気になったのが、上の写真にもあるペットボトルの処理だ。チチカカ湖の湖面にも空きボトルがいくつか浮かんでいたほか、道路脇にもたくさん捨てられていた。ヘタに燃やすよりはそのまま放置しておいたほうが安全かもしれないが、何とかしないとゴミだらけになってしまう。昨年訪れた東チベットでも同じようなゴミの散乱を目撃した。