じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  今回のボリビア・アンデス旅行では、行き帰りとも、米国とブラジルの空港を乗り継いだ。いずれもtransit passengerであったにも関わらず、米国ではなっなんと、税関申告書の提出と入国手続を求められた。つい最近の法令改正によるものであり、飛行機が短時間、給油のために立ち寄るだけであっても、乗客は手荷物を全部持ってこれらの審査を受けなければならないのだそうだ。
 行きに立ち寄ったニューヨークでは、米国に本当に入国する人たちと全く同じように入国審査の長蛇の行列に並び、さらに、航空会社職員の誘導に従って荷物検査を受けてから搭乗待合所に進んだ。

 帰りのロサンゼルスでは、東京・成田行きの乗客だけ2列に並ばされ(写真)、1時間近く待たされて税関の書類提出と入国審査を受けてからtransitラウンジに入室、数十分後には同じ通路を逆方向に歩いて、給油と清掃を終えた同じ飛行機内に戻った。

 このような煩瑣な手続がなぜ導入されたのか、その意図はよく分からない。単にセキュリティの問題だけであるならば、再搭乗の前にチェックをかければ済むはずだ(現にサンパウロではそのようなチェックがかけられていた)。

 邪推してみるに、世界の中心たる米国にとって、単に米国内を通過するだけの外国人は無礼者ということになる。いくら長時間待たせたところで、米国人からの苦情でないので取り上げる義理は無い。しかも、形式的な入国審査を実施すれば雇用の促進につながるので米国民の利益になる。そんなところだろうか。もっとも、行列に並ばされる分だけ、空港での買い物をする時間が奪われる。トータルの経済効果が米国にとってプラスになるのかどうかは定かではない。


8月24日(日)

【思ったこと】
_30824(日)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(1)ボリビアという国

 ボリビア・アンデスの山旅とチチカカ湖のサイトをこちらに開設。とりあえず、ラパスで撮影した写真ハイライトをこちらにアップした。

 海外旅行のアルバムサイトはこちらからリンクできるように設定してあるが、実は、昨年夏の東チベットは黄河源流域の手前以降分、今年の正月に行ったタスマニア・トレッキングは最後の一日分が未完成となっている。今回のボリビア・アンデスはそんなことにならぬよう早めにアップし、10月からの後期が始まる前には残りの2つの旅行サイトも何とか完成にこぎづけたいと考えているところだ。

 さて、今回のボリビアは、7月中旬になってから慌てて申し込んだこと、その後、学会年次大会で多忙だったこともあり、どういう国なのか事前には殆ど情報を得る機会がなかった。

 外務省ホームページの情報によれば、ボリビアの面積は109万858平方1kmで、日本の約3倍。人口は827万人(2001年)となっている。

 外務省のページにも記されているように、ボリビアの憲法上の首都はスクレにある。これは独立革命の中心になった都市であり、現在でも最高裁判所がここに置かれているという。

 ボリビアは周辺をすべて外国に囲まれた内陸国である。ではどういう国に囲まれているのか。ペルー、ブラジル、チリはすぐに思い浮かぶが、他に、パラグアイとアルゼンチンにも接している。もっとも、ガイドさんの話によれば、独立当初のボリビアは今より広い領土があった。一番問題となるのはチリとの国境であり、元来は海に面する部分があったらしい。このほか、周囲のすべての国から領土の一部が「奪われて」しまったことをガイドさんは嘆いていた。とはいえ、南アメリカ最貧の国であり、軍備も最弱であることを考えると、戦争で領土を広げることなどは到底困難。周辺国との平和を維持していく以外に生き残る道は無いのだという。

 サンパウロからの飛行機は、サンタクルスにいったん寄ったあと、ラパス近郊のケネディ空港ケネディ国際空港に降りる。そこは標高4082mで、世界最高所にある空港だという。岩と雪の山々の中に忽然と現れる茶褐色の大都市はそれ自体驚きであった。こんなへんぴな所になぜこんなに大きな都市があるのか、平日にもかかわらずなぜ大勢の人が日中から街中に集まってくるのか、謎は深まるばかりだった。