じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] フウラン。だいぶ前に義母からもらったもの。洋蘭に比べると地味であり、鑑賞するにはそれなりの心構えが必要のようだ。



7月22日(火)

【ちょっと思ったこと】

研究室で居眠りをする

 午後、研究室のパソコンの前で居眠りをしてしまった。14時20分頃から14時50分すぎであったと思うが、目が覚めた瞬間、ここはいったいどこなのだろう、いま昼なのか夜なのか、どうして寝てしまったのか、さっぱり分からなかった。

 午後の2時すぎ、会議や発表会などがあまりにも退屈だとウトウトすることはあるが、目が覚めた時に居場所が分からなかったのはこれが初めて。いろいろと書き物がたまっていて相当にくたびれているのは確かだが、ナルコレプシーの恐れも皆無とは言えないので注意したい。

 ちなみにこの日は16時から授業。水曜日は1コマ目から期末試験、木曜日は14時から18時すぎまで卒論中間発表会、火曜日に2回生向け授業のまとめがあり、これをもって前期の授業はすべて終了となる。もっとも、月末から8月初めには連日会議があり、そのあとは学会年次大会、さらに公開講座の担当が続く。それが終わったら10日間ほど休みをとる予定だ。
【思ったこと】
_30722(水)[心理]心理学研究の情報的価値(2)探索研究における比較とはどういうことか

 火曜日の授業で、比較をすることの意義が話題になった。ここでいう比較とは、探索的な研究における比較であって、実験群と統制群の有意差検定のようなものは含まれない。

 日常場面での比較は、普通、複数の候補から1つだけを選ぶ場合に行われる。考慮要因それぞれを比較し、どれが優れているのかを判定する。さらに総合的に最も優れている候補1つに的を絞る。そのプロセスは大部分、比較によって成り立っている。

 しかし、探索的研究の場合は、候補の中から1つを選ぶかというような判断は必ずしも要請されない。比較をせずに羅列した時に比べて、有用な情報をどれだけコンパクトにまとめられるか、問題現象の制御や新たな現象の予測にどれだけ役立てることができるのかがカギとなるように思う。

 比較研究といってもいろいろなレベルがある。研究対象自体が重要である場合は、いろいろな項目についてあれやこれやと比較すること自体に情報的価値がある。プロ野球・日本シリーズに出場する2チームについて、投手力、守備力、打撃力、長打力などを比較することは、試合の結果の予測に役立つだろう。

 あれやこれやと比較するのではなく、比較軸を探す研究というのもある。比較軸というのは、現象に本質的に内在するものではなく、我々があるニーズを満たすために、よりコンパクトに情報を整理したり、何かを予測するためのツールとしてこしらえるものである。したがって、比較軸は、それを設けることが正しいか間違っているかではなく、ツールとしての有効性の度合いによって取捨選択されるものだ。

 因子を探索する数量的な解析では、しばしば、因子を見つけることが最大の目的であるかのように誤解される。しかし、何かの改善や予測を目的とした研究では、いくら情報をコンパクトに整理できたとしてもそれだけでは利用価値が無い。多少煩瑣になっても、「使える」比較軸のほうがよい。次回に続く。