じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ムスクマロウ。ムスク(musk)は麝香(じゃこう)。マロウ(mallow)はアオイ科ゼニアオイ属Malva の草の総称。以前よりこの花壇に咲いていたが、『ハーブ図鑑』(日本文芸社、ISBN4-537-07603-8)の写真で初めて名前が分かった。この本には、ムラサキバレンギクや、先日写真を掲載したビロードモウズイカ(マレイン)など、ハーブではないと思っていた花が多数紹介されており、名前を調べる本としてオススメ。


6月16日(月)

【ちょっと思ったこと】

タスマニアの赤い海

 ゲッツの番組を視たいと主張する娘と熾烈なチャンネル争いの末、NHK地球・ふしぎ紀行「「潜行!神秘の赤い海 タスマニア島に謎を追う」を視ることができた。島の南西端にあるバサースト湾(Bathurst harbour)には世界でもここだけという赤い海があり、水深5〜8m程度の浅い海にはなんと深海生物が棲んでいた。そのヒミツは日光を遮る赤い真水とその下層にある海水の安定状態にあった。番組では赤い海の正体をなかなか明かさなかったが、今年の正月に北部山岳地帯と原生林をトレッキングをした私には、最初から想像がついた。もっとも、湿地に群生するボタングラスがこんなに素晴らしい赤い海を形作っているとは思いも寄らなかった。

 余談だが、NHKのサイトのurlが「tasmania.html」とすべきところを「tasumania.html」とスペリングを間違えているのはなぜだろうか。単なるローマ字表記のためか。 ま、この日記最新版だって「WELCOM」というように「WELCOME」の「E」が抜け落ちているのは確かなんだが(最新版のファイル名をWELCOMとしたのは、Web日記の公開をジャストネット上に移した際に、「INDEX.HTM」と「WELCOM.HTM」に限ってジャストネットの新着情報に自動的に掲載されるという案内があったため。私の思い違いだったかもしれないが、いずれにせよSo-net移行後にはあまり意味をなさなくなった。




今年の梅雨はしっかりしている

 気象庁が、近畿、中国、四国、関東甲信、東海地方の梅雨入りを発表したのは6月10日のことであったが、今年はそれが大正解。岡山県南部の場合、9日までは短時間の雷雨があったもののずっと晴れ。10日から16日までの雨量は

2、1、2、2、7、2、7mm

となっており、16、17日もこちらの記録にあるように、毎日どこかの時間帯で雨が降っている。
10日から15日の湿度も、

77、62、62、72、87、82、91%

というように連日50%以上となっている。

 梅雨入り宣言などと言っても、年によっては3日程度雨が降ってからずっと晴れの日が続いて気象台に「本当に梅雨入りしているのか」といった苦情が寄せられることもあるが、今年はおそらく誰も文句を言わないだろう。また、10日頃からの梅雨入りは一週間ほど前からの週間予報のなかでも予報士たちによって言及されており、これまでのところは、季節の変化が順調に進んでいると言ってよいだろう。多少心配なのが台風6号の進路。これによる集中豪雨、その後の気圧配置が気になるところだ。


【思ったこと】
_30616(月)[心理]園芸療法の効果について考える(4)「目的としての園芸」と「手段としての園芸」はどうやって見分けるか

 昨日の続き。「目的としての療法」とはどういう意味かについて、パネルディスカッションの中で意見を求められた。それに対する私の答えは、
  • 医療効果を期待した「手段としての療法」というのは、苦い薬や注射のようなもの。苦いのがイヤ、あるいは痛いのがイヤという人でも、治すためには我慢してそれを受け入れる。もし園芸療法に医療効果があるとするならば、園芸がイヤな人でも多少我慢をしてそれに参加したほうがよいということになる。しかし、そんなに無理強いするものではない。「やりたい」「行きたい」が大前提ではないのか?
  • 温泉好きの人は多いが、医療効果を信じて温泉旅行に行くわけでは必ずしもない。スポーツ、散歩、絵画、工芸、集団ゲーム、音楽なども、医療効果の手段として導入されているわけではない。参加者が楽むことが第一であり、種々の効用はあくまで結果的にもたらされたものにすぎない。園芸だけを特別扱いする根拠は特に見あたらない(それらすべて、同レベルで効用が期待される)。
  • 「楽しむ」ということは実は大切なことである。本来、働くことも楽しみの1つであるのだが、産業労働の宿命として、分業化による達成感や自己効力感の喪失、お金を得るための手段としての仕事、という面が出てきたために「働きがい」を得ることが難しくなってしまった。日本ではレジャーというと、労働のための休息手段のように受け止められがちであるが、質の高いレジャーというのは、労働ときわめて似ている。労働から義務や付加的な報酬を取り去り、それ自体に自己完結的な喜びが伴うように改良を加えたものがレジャーであると言ってもよい。このあたりの精神はダイバージョナルセラピーでも活かされている。
というような内容であった(一部加筆修正)。

 しばしば言われることだが、身体的な健康はそれ自体目的ではない。健康情報番組を100%真に受けて、よいと言われたものを何でもかんでも食べ、よいと言われたことを朝から晩まで実行して健康が保たれたとしても、それだけでは本末転倒。何かすることが無ければ、健康を保つ意味が無い。

 健康を保つために園芸活動をするというよりもむしろ、園芸活動を続けたいから健康を守ろうとするものではないかなあ。

 「楽しむための療法」であるからといって、機会さえ与えて放っておけばよいというものではない。実は、どういう場を設定すれば楽しめるのかというのは、そんなに簡単に見つかるものではない。

 このWeb日記で度々取り上げている「ダイバージョナル・セラピー」なども、じつは、能動的な楽しみ探しの技法として役に立っているのである。ダイバージョナルセラピーというのは、特定の「遊び」のセットではなく、むしろ、対象者個々人について、どういう遊びが楽しみになるのかを調査しそれを確実に導入していくための技法であるという側面がある。特定の遊びを高齢者施設全体に形だけ導入したところで、それはもはやダイバージョナルセラピーとは言えない。つまり、入居者の一人が園芸を楽しみとしているならば、それをサポートするのはダイバージョナルセラピーに含まれる。いっぽう、個々人のアセスメントをせず、画一的に園芸活動を導入してしまったら、それはもはやダイバージョナルセラピーとは言えない。

 もちろん、園芸活動が結果としてポジティブな結果をもたらすことは確かである。今回の大会発表でもあったが、授産施設における社会参加のための訓練として活用されることはありうるし、精神科の病院や痴呆性高齢者の介護施設などにおいて、当人の不安や不適切行動の減少に役立つ場合もある。またグループ活動として行う場合に期待されるコミュニティの活性化、さらには環境を守る効果など、それぞれの場で、ニーズに合わせて効用を実証していく意義があることは言うまでもないことだ。