じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [写真] 人間・植物関係学会の会場となった恵泉女学園園芸短大。入口には多肉植物で「2003 KEISEN」と描かれた紋章。中にはには綺麗な花壇があった。恵泉は創始者の精神を受け継ぎ、戦前より園芸を柱の1つとして教育に力を注いできた。但しまことに残念なことに、この短大は4年生の大学と統合され、この地には学生が来なくなるという。この校舎の利用については正式にはまだ決まっていないそうだ。大学の施設として存続が無理であるならば、例えば不登校児が園芸活動をしながら通えるフリースクールにするとか、高齢者向けのデイサービス(デイケア)センターとして活用するとか...いろいろありそう。


6月15日(日)

【ちょっと思ったこと】

うがいに不便なJR

 SARSを含めて呼吸器系感染症の予防は、まずはうがいの励行だというが、久しぶりに新幹線を長時間利用して、これが結構やりにくくなっていることに気づいた。まず、ホームにそのような設備が見あたらない。列車の洗面所からは飲料水給水の設備は撤去されている。ペットボトルの普及したこと、また、安全基準を満たすための飲料水の確保にコストがかかることが撤去の理由ではないかと思うが、これにより、ずいぶんと、衛生環境は悪くなったと思う。確かにペットボトルで水分の補給はできるが、うがいをするのはもったいない。無菌・抗菌グッズの普及で、手を触れることによる感染はずいぶん減ってきたと思うけれど、呼吸器系は逆に無防備になってきたのではないかなあ。SARS予防を兼ねて、この機会に、各駅のホームや車内に、うがいのできる設備を増やしてはどうかと思ってみたりする。




ホテルで予想外だったこと

 学会大会参加のため伊勢原市近くの安いホテルに泊まってみて予想外だったことが2つあった。

 ホテルに泊まるときはセット料金の場合を除いて、近くのコンビニで朝食用のパンやヨーグルト、コーヒーなどを買うことにしている。たいがいのホテルは、室内に冷蔵庫(←有料のドリンクサービスのため)を備え付けており、その中に買ってきたパンなどを詰め込んでおくと安上がりになるからだ。

 雨が降っていて何度も出歩きたくなかったので、この日も、コンビニでサンドイッチを買ってからチェックインした。ところが、室内にはどこにも冷蔵庫が見あたらない。サンドイッチは、翌日13時までの品質保持期限が明示されているものの「要冷蔵10度以下」となっている。こりゃあ困ったと思ったが、自販機コーナーに無料製氷機のあることが分かったので、コップ3杯分の氷をかきあつめて袋を冷やした。翌朝にはすべて融けていたが、その後も体調に異常が無いので大丈夫かと思う。

 もう1つ。これは国内のホテルでは初めての経験だと思うが、眠りについたころ、耳元でブーンという蚊の羽音が聞こえた。すでに手足4カ所を刺されていた。やっと見つけて叩いたら、壁が赤く染まるほど血を吸っている。1階や2階の部屋ならともかく、8階で蚊に刺されるとはまったくどういうことだ。そういや、西ナイル熱(野鳥→蚊を通じて感染)の上陸は時間の問題だとか。ホテルであれ大学構内であれ、蚊の駆除を徹底してもらいたいものだ。





江戸時代に流行した花

 NHKで江戸時代の長屋の生活の様子を紹介していた。長屋では、さまざまな生活の知恵が生かされ、また、循環型社会が実にうまく機能していたようだ。江戸時代の銭湯は足をつける程度のお湯しかなく、半分蒸し風呂のようになっていたとは知らなかった。

 そんななかで面白いと思ったのは、同じ江戸時代でも、流行ものの花の種類が異なるという話。それによれば、二代将軍の頃は椿、元禄時代はツツジ、吉宗の頃は菊、さらに文化文政には朝顔に人気があったという。椿となれば庭が必要、ツツジは盆栽でも育てられる。さらに菊、朝顔になったということは、小型化、可搬化ととらえてよいのだろうか。このほか、品種の掛け合わせでいろんな変わり種が作れ、改良を競い合えるということも大きな理由かと思う。

【思ったこと】
_30615(日)[心理]園芸療法の効果について考える(3)パネルディスカッションとその後の議論

 神奈川県・伊勢原市で開催された人間・植物関係学会2003年大会の感想2回目。基調講演に続いて、「園芸療法の効果をどう評価するか」というパネルディスカッションが開かれ、私もパネリストの一人をつとめさせていただいた。

 私の問題提起の趣旨は、
  • ひとくちに園芸療法の効果と言っても、どのような効果について調べるのかにより検証の方法が異なってくる。これらは、個別的な医療効果の検証をめざす場合と、全人的な視点からQOLの向上に役立てる場合に、大きく分けることができる。
  • 個別的な医療効果の検証をめざす場合
    ある種の園芸作業に具体的な医療効果かどうか検証を試みるタイプである。例えば、ポット苗をプランターに植え付け一週間世話をした実験群と、世話をしなかった統制群(対照群)のあいだで、何らかの生理指標に有意な差があるかどうかを検討するような研究である。
  • このタイプの研究法は、
    1. 万能性への過剰な期待
    2. 実験におけるパラメター設定の恣意性
    3. 効果の持続についてのあやふやさ
    4. 想定外の有効性や副作用
    5. 介入とそれがもたらす結果についての「多対多」の関係
    6. 漠然とした定義
    などの点から限界がある。こういう検証をめざす限り、研究はいつまでたっても、一般化可能性を広げることができず、要因の組み合わせばかりに終始することになる(但しそれでも、研究論文数を稼ぐことはできるかもしれない)。要素に分け特定のfactorだけを取り出して分析するといった「木を見て森を見ない」要素的な研究に代えて、園芸活動の参加することが当人の生活全般の質の向上にどう貢献しているのかを把握することのほうがはるかに生産的である。
  • もっとも、全人的な視点からQOLの向上に役立てる場合も、その効果の検証は容易ではない。「QOLの向上」など言うは易しだが、未定義に使われる場合も多い。
  • ここでは、それに関わること自体が楽しみとなるような行動を支えることは、具体的な医療効果の有無にかかわらずセラピーであるという立場をとる。
  • 対象者、特に、老化や身体障害により自力で園芸活動が困難になった人に対して、その活動内容および福祉や医療の専門的体系的知識を身につけた者(「療法士」)がサポートを行うことは、セラピーに含まれるという立場が容認される。→松尾(1998)
  • 極言すれば、医療効果という点では多少マイナスであることが分かっていても、本人がそれを望めば活動に従事させるべきであるという考えも成り立つ。
  • スキナーの「幸福の定義」を基礎に置きながら、能動的世界の構築の意味を考えるべきだ。特に高齢者においては、失われた「能動」をどう補完するか、置き換えるかが大切だ。



 話題提供の後半では、いっぱんに「研究の価値」には
  • 意外性(←なぜ意外なのかも考えてみよう)
  • オリジナリティ
  • 内的妥当性(確実性)
  • 外的妥当性(一般化可能性)
  • 予測と制御(応用性、有用性)
  • 簡潔性
などの側面がありどれも満たすべきであるが、学会の論文査読などでは常、オリジナリティと確実性のみで評価されがちである。それゆえ、実験室実験のほうが短期間で成果を出しやすく、論文の大量生産には有用となる。その一方で一般化可能性は次の研究に委ねることになる(←いつまで経っても完結しない?)。こうした風潮に対して批判的見解を述べた。

このほか研究に期待されることとして
  • 平均値比較実験から、個体重視の単一事例研究へ
  • 仮説演繹的方法から生起条件探求型方法へ
という2点にもふれた。

 その後の討論、懇親会席上でも、有益な意見交換ができた。次回に続く。