じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 座主川沿いに咲くムシトリナデシコ(小町草)。


5月14日(水)

【ちょっと思ったこと】

おや? 大相撲が!

 昨日の日記で、大相撲不入りの一因はNHKニュースでの取り上げ方にあり
...マツイ偏重報道が大相撲不人気を加速させているように思えてならない。松井選手が出場した日に、「マツイ」と日本プロ野球と大相撲がどのような優先順位で、どのくらいの時間割合で報道されるのか、今後も注意深くウォッチングを続けていきたいと思う。
と書いたばかりであったが、19時台のNHKニュースでは

●イチロー全打席→マツイ全打席(インタビュー付き)→大相撲3番ほど→プロ野球速報

という順序であった。

 しかし、翌朝5/15の6時32分からのスポーツコーナーでは、

●大相撲2番ほど→プロ野球まるごとフラッシュ→サッカー・欧州チャンピオンリーグ

という順になっていた。私が記憶する限りでは、この時間帯にマツイのことが一言も触れられず、しかも大相撲が野球よりも先に報じられたのは初めて。明日以降どうなるか、さらにウォッチングを続けていきたい。

【思ったこと】
_30514(水)[一般]リゾート法17年目の大反省

 夕食時にNHKクローズアップ現代「リゾート法 17年目の現実」を視た。

 バブル崩壊前の昭和62年6月9日、総合保養地整備法(いわゆる「リゾート法」)が施行されたが、その後に承認された基本構想は大半が失敗。現時点で開業しているのは20%に過ぎず、24%は整備・計画中、56%は構想中となっており、実質的に「頓挫」した状態になっていた。そんななか、今年の4月、総務省によって「リゾート地域の開発・整備に関わる政策評価書が公開された。

 番組では、頓挫例として福岡県芦屋町と福島県下郷町の2例が、また固定資産税の減収に悩みながらも自治体が必死に再生をはかっている例として北海道占冠村の取り組みが紹介された。

 番組にゲストとして登場した 横澤忠雄氏(東京大学客員教授・都市開発プロデューサー)は、構想がうまく実現しなかった原因として
  • (バブル崩壊など)予想外の経済状況の変化
  • 当初は1ケタ程度を目ざしていたのに、横並び主義により、たくさんの構想(42件)を承認しすぎた。
  • 計画の変更には6省庁、合計68個の押印が必要であるため、見直しや変更が容易にできなかった。
などを挙げておられた(長谷川のメモに基づく)が、どうだろうか、私は、日本人の大多数が求めている「保養」とかけ離れた、欧米崇拝、金持ち優遇の発想に根本的な欠陥があったのではないかと思った。




 芦屋町と下郷町の映像を見て率直に感じたのは、失敗に終わってよかったなあということだ。

 芦屋町の構想は、風光明媚な海岸を破壊し、そこに1億円の分譲マンションやヨットハーバーを建設するというものだった。地元の漁協には、2億6000万円の補償費がすでに支払われているという。

 しかしもしそれが実現していたらどうなるか、海岸の一部は金持ち階級だけの施設に独占されてしまう。のんびりと波と戯れたり、砂を掘ったり、貝殻を拾ったりして楽しもうとする家族連れはそこから締め出されてしまう。

 下郷町のほうは、山林を切り開き、スキー場、ゴルフ場、リゾートホテルを建設するというものだった。ここでも、ゆたかな自然を育む山林や農地は破壊されてしまうはずであったが、頓挫により何とか破壊からは免れたようだ。




 ここでもう一度「保養」の意味について考えてみよう。『新明解』(三省堂)によれば、保養とは

●(1)一時、勤務や仕事から離れ、心身の健康の回復を図ること。(2)美しいものに接し、一時、俗事を忘れ、うっとりとした気分に浸ること。

と定義されている。こうした保養が、ヨット、スキー、ゴルフ、温水プール、豪華ホテル...という施設で実現できるものなのか、もっと根本的な問いかけが必要ではなかったのか。右上がりの成長を続け内需拡大が叫ばれていた時代には、そこまで気づくことはできなかったのだろう。




 日本はもともと風光明媚な土地や温泉が各所にあり、保養地として十分な役割を果たしていた。そうした保養地には都会人がうらやましがるような伝統文化があり、水や空気や美味しい食べ物があり、それらに接することができて初めて「心身の健康の回復を図る」ことができるのである。

 海岸から漁民を追い出し、山林や田畑を破壊し、欧米の金持ちが楽しむのと同じスタイルの娯楽施設を作ったところでホンモノの保養が実現するとは思えない。ま、たまには、ハウステンボス、チボリ、ディズニーといった異国風景に接してみたいとは思うが、長期間滞在するとなれば、やはり、その地に根ざした生活というものが必要であろう。

 もう1つ、リゾート、リゾートと言うが、我々の生きがいの本拠地はあくまで、毎日の生活の現場に求められなければならないと思う。職場での働きがい、家に戻ってからのゆとり、そういうものがちゃんと確保された上で、そうした「生活の絵」をひきたたせるためのちょっとした空白部分がリゾートとして位置づけられるべきである。毎日の生活環境の整備やそこでのコミュニティ作りにもっと重点を置くべきではないだろうか。