じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 時計台前広場の鬱金桜。1本が昨年枯れてしまい、この場所では1本のみとなってしまった。背景は文学部。


4月14日(月)

【ちょっと思ったこと】

一太郎とワードの奇妙な関係

 夏に行われる日本行動分析学会21回年次大会(行動分析岡山大会)の準備を進めているのだが、発表論文集原稿の作成案内を作っていて困ったことが起こった。一太郎とワードで同じ文字数の見本が作れないのである。

 原稿の書式は、他の学会でもよくあるように、A4判1枚で作成しB5に縮小して印刷するというもの。前年度のスタイルをそのまま踏襲しようと思っていたのだが、常任理事会の方針で、今回から英文のタイトルを入れることとなり、結局作り直すことになった。

 英文のタイトルを入れても本文の文字数が減らないよう2段組でなるべく文字を詰め込めるようなレイアウトを考えてみたところ、上20ミリ、下15ミリ、左右各20ミリの余白、10.5ポイントのフォントという制限条件のもとで、おおむね2000文字(1000文字×2段)程度が妥当ではないかということになった。ところがそれをもとにサンプルを作ろうとしたところ、一太郎とワードで同じスタイルにならないのである。とりあえず作ってみたのがこんな感じなのだが、文字数が揃わない。段間の幅、行数、文字間隔などをいろいろいじってみたが、うまく調整することができなかった。他形式の読み込み機能などを使うともっとひどいことになる。突然2頁になってしまったり、文字間隔が開きすぎたりする。他形式との互換性といっても、細かい設定情報までは対応していないのだろう。けっきょく、統一スタイル(テンプレート)はあきらめ、「本文はおおむね2000文字程度でお願いします」という大ざっぱな案内をするはめになってしまった。





和歌山大の全面禁煙

 4/15の朝日新聞大阪本社版によると、和歌山大学が来春から、学生や教職員、外来者も含め、キャンパスを完全禁煙にする方針を決めた。記事によると今年の8月から分煙を強め、来春にはすべての灰皿を撤去する方針であるという。禁煙の範囲には教員の個室や敷地内すべてが含まれるということで、4年制大学としては初めての試みとなる。

 私の大学でも禁煙化の動きは着実に進んでおり、いくつかの建物では館内禁煙が実現している。教員の個室についてはいろいろと議論もあるだろうが、学生を指導するために研究室を使うということであるならば、タバコのニオイがしみついた部屋であっては困る。建物外であっても、吸い殻のポイ捨ては目に余るところがある。喫煙者たちがこれらを改善できないならば強硬措置もやむを得ないかもしれない。

 私的空間でタバコを吸うのは個人の勝手であるが、大勢が集まる場での喫煙は絶対にやめてもらいたいものだ。少し前の話になるが、温泉に行った時、入りロビーにタバコの煙が充満していたために、妻と娘が気分が悪くなってしまったことがあった。これじゃあ何のための健康ランドか分からない。その後そこには行っていない。分煙体制が確立していないラーメン屋も困りものだ。新年度の各種歓迎会、懇親会でも私の横で平気でタバコを吸う輩がいる。いくら立派な人でも、その行為があっただけで信頼はゼロとなる。

 元の話題の和歌山大では、今後、「タバコを吸わないと研究が進まない」というような反論がいろいろと出てくるだろうが、十分に議論を尽くし、合意のもとで実施されることになれば素晴らしいことだと思う。

【思ったこと】
_30414(月)[心理]質的分析と行動分析(8)言語報告の問題点

 今回は、面接法と関わりの深い言語報告についての考えを述べたいと思う。

 調査的面接法の基本は、被調査者からの言語報告である。調査面接法では中澤 (2000)の指摘にあるように、「話し方や表情・動作など,直接接することによって初めて得られる多様な情報」も質的データとして活用される場合があるが、郵便やEメイルや電話を介した聞き取り調査では、当然、それらの場合には表情や動作を読み取ることはできない。

 言語報告の一番の問題点は、その内容の主観性や不正確さにあるだろう。例えば、対象者が「楽しい」と答えたからといって、それが好子として機能しているかどうかは直ちには断定できない。この日記でも以前引用したように、Skinner(1953)は
We cannot dispense with this survey simply by asking a man what reinforces him. His reply may be of some value, but it is by no means necessarily reliable. A reinforcing connection need not be obvious to the individual reinforced. It is often only in retrospect that one's tendencies to behave in particular ways are seen to be the result of certain consequences, and, as we shall see in Chapter XVIII, the relation may never be seen at all even though it is obvious to others.
と、言語報告の限界を指摘している。

 とはいえ、(実験的方法ではなく)面接によって、対象者の日常行動の強化因を探る必要がある時には、とりあえず「いま何が楽しいですか?」と聞くことには意味がある。言うまでもなく「楽しい」とは主観的な言語表現である。しかし、個人個人の表現内容に全く共通性・類似性が無かったら、言葉としては成立しえない。「テーマパークに行ったら楽しかった」という報告を聞いた第三者は、それを手がかりとして自らテーマパークに足を運べばそれなりに楽しめるはずだ。その有用性があるから、言葉(=タクト)として存在し続けているのである。

 但し楽しいモノをリストアップするだけでは不十分であり、そこでどういう能動的な行動が起こっているのか、それぞれの行動にどういう結果が伴っているのかを詳細に聞き出すことが必要である。

 中澤 (2000)が指摘するように、調査的面接法は、言語報告には客観的な保証がなく、自分を望ましく表したいという自己防衛がはたらく恐れがある。但し、その客観性は、質問内容、文脈、回答内容に対する強化・弱化要因によって大きく変わってくるはずだ。

 以下、言語報告から行動随伴性を推測する場合の考慮点をいくつか挙げてみよう。
  1. 事実についての質問(例えば「あなたは何県出身ですか?)は、通常は、回答が歪められる恐れはない。但し、文脈によっては、年齢、学歴、家族構成などの事実が正確に語られない場合もある。
  2. 「Xという行動をしたらAという結果になった」という報告は、虚偽のメリットが無い限りは事実であろう。但し日常場面では「Xという行動」に対しては、A以外にもB、C、D、...というように報告者が言語化できない多種多様な結果が伴っている可能性があり、報告内容だけから随伴性を記述することには限界がある。
  3. 「Xという行動をしたら楽しかった」、「Yという行動は嫌だった」という言語報告があった場合、Xには何らかの好子が出現し、Yには何らかの嫌子が出現(あるいは好子が消失、あるいは結果が何も伴わず消去)していた可能性がある。その場合、「Xをした後でどんなことが起こりましたか?」という質問をすることで、好子もしくは好子の候補を聞き出すことができる。
  4. 将来のことについて「XをするとAになるから」という言語報告が得られた場合、そのことがルールとなっている可能性がある。その場合、例えば「Aが実現しなくてもXを続けますか?」という質問をすることで、ルール支配行動の有無についてある程度の確証を得ることができる。
 このように限界があるものの、言語報告に基づく行動随伴性の推定は決して無駄ではなく、聞き方次第では、無言で行動観察すること以上に有用な情報が得られる可能性がある。

 以上は言語報告から行動随伴性を推測するという留意点を述べたものであるが、Moore (1994)が指摘しているように、行動分析学では、内観報告は、ほんらい、それを通して推論するための手がかりではなく、それ自体が分析の対象となる言語行動として位置づけられている。

 近年、Guerin(1994)を中心としたニュージーランドの行動分析学者たちによって、「態度」や「信念」も言語行動の一種として研究対象になりうることが指摘されるようになった。態度も信念も言語コミュニティにおける不可欠の構成要件であり、タクトとしての態度や信念をイントラバーバルとしての態度や信念に転換したり、オートクリティックの機能を通じて態度と信念が社会的な交渉に使われている点も指摘されている。すなわち、言語コミュニティには
  • (a)態度や信念を特例ではなく一般事例として報告する行動を強化する。
  • (b)イントラバーバルをタクトであるかのように見せる行動を強化する。
  • (c)信念を態度であるかのように見せる行動を強化する。
という強化機能があり、態度と信念と行動の二者間あるいは三者間の一貫性もまた、言語コミュニティで実際に行われている強化を随伴させている。それゆえ、態度や信念は、私的あるいは認知プロセスではなく、社会行動の研究対象となりうると述べている。このような研究がさらに進めば、自分をよく見せかけたり、偽りの報告を行う行動についても被験者の言語報告のどういう部分が言語コミュニティの中で強化されているのかという視点から分析を行うことが可能となる。