じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [写真] 朝から晴れ渡り、絶好の花見日和。写真左は一般教育棟手前の桜。大学構内では一番よく咲いており、いくつかのグループが花見に来ていた。写真右は文学部中庭。こちらは人気が全然無い。来年の今頃は息子が県外のどこかの大学に入学するはずなので、桜の木の下で撮る家族写真はこれが最後になるかもしれない。


4月6日(日)

【ちょっと思ったこと】

停年前の最後?の模様替え

 50歳になったのを機に、研究室の模様替えに取りかかった。これまで使っていた木製の本棚やスチール製の収納ケースを別の部屋に移し、部屋全体のスペースを空けることが主たる目的である。

 岡山に来てからかれこれ満12年になるが、何かと物を貯め込む性分で、身動きがとれないほどに乱雑になってしまった。今回の模様替えではとにかく、1年以上使っていない本は原則として図書館に返却、書類は廃棄、古い備品も廃棄処分に、これでいくらか能率的に仕事ができるようになるはずだ。

 模様替えは手間も時間もかかる上に、重い物を運ぶ際に腰を痛める恐れがある。停年まであと15年なので、できればこれを最後としたいものだ。但し、各施設で計画されている大規模改修が実施されることになれば、否応なしに一時退去と部屋の移動を迫られる可能性がある。

【思ったこと】
_30406(日)[心理]質的分析と行動分析(2)「質」とは何か?

 昨日の続き。質的分析を考えるには、まず「質」とは何かにさかのぼって考えてみる必要がある。「質」という言葉は辞書的には複数の意味が含まれており、かつ、価値判断に関わる表現を含んでいる。この言葉のもつ素朴な印象が種々の議論に影響を与えている可能性があるという点に留意する必要があると思う。

 じっさい『広辞苑第五版』(新村出[編], 1998)では、「質」には、「(!)生まれつき。天性。(2)内容、中味。価値。(3)問いただすこと。(4)飾りけがないこと。(5)(quality)物がそれとして存在するもとであるもの←→量」と定義されており、(5)については、「(ア)対象を他の対象と区別する特色となっているもの。非感覚的な面をも含む。「どのような」という問いに対する事物のあり方。(イ)論理学では、判断の肯定・否定を言う。」という解説があった。

 また『新明解国語辞典 第五版】(金田一・山田・柴田・酒井・倉持・山田[編], 1997)では、「そのものを形成している成分を、いい悪い、粗であるか密であるか、また、どういう傾向を持つかという観点から見たもの」と定義されていた。

 このように、日常生活では、質という言葉が「よい、悪い」、「価値が高い、低い」という意味で用いられており、「生活の質(Quality Of Life)を高めるにはどうすればよいか」という表現にも価値観が暗黙のうちに含まれている可能性がある。

 こうした多義性は日本語ばかりではない。『ランダムハウス英語辞典」(小学館ランダムハウス英和大辞典第二版編集委員会[編], 1993)によれば、「quality」には、「(物・事の)特性、特質、属性、(人の)素質,資質」や「(…の)本来の性質、本質、;…性,…に似た性質」といった意味に加えて、「高級、上等、良質、高品質」などの意味が含まれているという。




 「質」はしばしば「量」と対比的に論じられる。以下、いくつか事例を挙げてみよう。
  1. 「水の量と質のコントロールが必要である」
    ここでは「量」は言うまでもなく水の量、「質」は水質、つまり水の中に含まれる化学物質のことを意味している。

  2. 量的拡大は、質的低下をもたらす。
     大量生産、教育機関への入学者数、組織拡大などについてしばしば言われる言葉である。
    例えば、
    • 大学院入学資格の弾力化は,.....ただ,量的拡大とあわせて質の低下につながる恐れがあるかもしれないという部分,.....
    • ・.....法曹の量的拡大と、それを質的低下を伴わずに実現することが緊急に求められている。
    • .....18歳人口の漸減に伴う冬の時代とともに、社会福祉教育の量的拡大が質的低下を余儀なくするなか、.....

     これらの表現は、共通して「量」は対象を外側から見た規模、「質」は中味についての評価に言及している。但し、「質」に関して「低下」あるいは「向上」という言葉を使う以上、それらは何らかの形で「量的に測定」されなければならず、自己矛盾に陥る。より正確には、「量的拡大は、内部水準(評価)の量的低下をもたらす」と修正すべきかもしれない。

  3. 量的変化から質的変化
     弁証法哲学の基本をなす考え方である。なお、森(1981)は、量と質について次のように説明している[長谷川による要約]。

    • 質は、それをなくせば、その存在を失うようなもののことであって、全ての物の存在と切り離せない。
    • 事物は一定の量的単位によって分けたり、また集めたりすることができる。量的に分けたり集めたりしえないのは質的差異によるものであり、これをなしうるのは量的な面からである。

     ここで言われているのは、「質」は事物のもつ本質的な諸性質であり、いっぽう「量」は、同じ性質のものが増えたり減ったりすることに関係している。この定義で問題となるのは、言語行動との関連である。その内容は後述する。

  4. 多様性と質
     今回のテーマからは脱線してしまうが、上記の「量的変化から質的変化」という考えでは、生物多様性や文化の多様性の問題は十分には説明できないように思う。
     生物進化は、多様性と自然選択(淘汰)の連続としてある程度説明できるが、量的拡大が質の変化をもたらすわけでは必ずしもない。むしろ多様性は、種の保存や生き残りをかけたギリギリの状況で大きな力となることが多い。
     いずれにせよ、多様性というのは生物の進化ではかなり本質的な要因であって量的変化とは独立しているのではないかと思ってみたりする。かつ、多様性とは、単に「いろいろある」「バラバラだ」ではなく、相互に連関して全体を保っている部分がある。
 いま述べた最後の点だが、心理学で質的研究が注目されるようになったことと、多様性重視の動きは無関係ではないように思う。行動分析ではどちらかというと、すでに特定された行動の量的変化や比率が問題にされる傾向があった。多様性が観測されるのは、シェイピングの初期の段階と、オペラント行動が消去される際にバーストと共に現れる種々の行動である。このあたりももっと注目してよいのではないかと考えている。