じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 観葉植物にハート形の新芽が出現。葉が開いたところに雄しべや雌しべのようなものが見られるので、これが花なのかもしれない。種名は忘れたが、葉を切り取って鉢の上に置くだけで増やせるヤツ。 [写真]


3月27日(木)

【ちょっと思ったこと】

TVチャンピオン550回記念「変身スペシャル」

 夕食時に、TVチャンピオン550回記念「驚異のBefore-Afterこんなに変身させちゃいましたスペシャル」を視た。

 番組が始まった頃の記憶は殆ど無いが、10年以上、かなりの頻度で視続けてきたと思う。私の好みは職人系。予選のプロセスが不鮮明であるしヤラセもあるんだろうが、とにかく、みな真剣に取り組んでいるのがいい。

 今回の「Before-After」というのは、職人達の技でこれだけ変身できるというもので、インテリア関係からガーデニング、さらにはリフォーム、さまざまな分野で発揮された技が紹介された。また、チャンピオンになった人自身の変身例もいろいろ。いろんな人の人生をこれだけ変えてしまう番組はそう多くはなかろう。

 この番組では、大食いのような我慢大会系もあるが私はあまり好きではない。宮澤正之氏(さかなクン)、長畑直和氏(昆虫王)、佐々木晶氏(ラーメン王)といった物知り系もそれぞれスゴイとは思うが、私はやはり、みんなのために何かを作りそれによってみんなに夢を与えるという技を疲労するという職人系が最も好きだ。テレビというメディアの性質上、派手な技を伴わない職種が登場することは無いが、チャンピオンとして称賛されようとされまいと、働きがいのお手本は職人にあるのではないかと思う。






頑張る70代

 統一地方選の11知事選が告示になったというが、某都道府県では立候補者5名のうち現職を含む4名が70代となっていた。国立大学では、地方大学で65歳、東大や京大はそれより若い年齢で停年退職となる。70代の方々が精力的に選挙運動を展開されている様子が伝えられれば、停年間近の教員や、退職して隠居生活に入っている元教員にとって大きな励みになることだろう。

【思ったこと】
_30327(木)[教育]大学の活性化と評価〜教員個人評価を中心に〜(3)経済状況と大学の使命

 昨日の日記の続き。N大の前副学長W氏は、「大学は自主的で自律的に存在しなければならない」として、ライデン大学の事例を挙げられた。そして、その自主性と自律性は、それを支持する国民が同意する範囲内での自由でしかあり得ないこと、かつ大学に対して考えられる限り最高水準の自由を与えることができる国民が多数を占めることの意義を強調された。

 しかし、現状では、国民が大学に寄せる期待は、経済不況からの脱出するための科学技術の創造等、極めて短視野的なものに集中する風潮にある。じっさい、国立大学の独立行政法人化も、国の経済状況の悪化が引き金となり、国家公務員削減と国費支出の効率化が必要になったために断行されたところがあり、「経済状況によって大学の使命やありかたを考えることは本末転倒」であるというわけだ。

 以上のご指摘は確かにもっともであろうとは思う。ただ、ライデン大学の理念に適うような国立大学が日本国内に99校も必要かどうかとなると、ちょっと首をかしげたくなる。もちろん、経済優先の価値観や、目先のことばかり考えた技術教育だけでダメなことは分かるのだが、W氏が描いておられるような大学は、私の考えではせいぜい旧帝大といくつかの研究拠点大学に限られる。N大も我が岡山大学も、それらに含まれるかどうかの瀬戸際にあるように思えてならない。そしてそれ以外の大学は、教育重点であり、そのさいには、学費負担者からのニーズに応える大学として生き残っていくしかないように思える。




 W氏の基調講演の後半ではN大学での教員個人評価の内容が紹介された。上にも記したように、そこでは「一人一人が社会に責任をもつ」こと、大学教員にあっては「自分自身で常に厳しい自己評価をおこない自己を律せなければならない」という前提に基づいて評価が行われることが前提となっており、独創性を潰すようなものにならないよういろいろと配慮されているようであった。

 個人評価の基本は「教員自身の自己研鑽の為に自己の実体を知る行動」として捉えられており、現時点では結果に対する賞罰は決められていないという。但し、活動が十分でないと評価された教員に対する適切な指導と助言を行ったり、特別昇給の資料としての活用、さらには、特別表彰や特別休暇制度なども検討されているとのことだった。

 最後に強調されたのは、プロセスの共有の大切さであった。大学内では常に「私は賛成していない」という形の非協力や「何かあったらどうする? もう少し慎重に」という時期尚早論たまかり通る風潮があるが、これを避けるためにもプロセスの共有が求められる。

次回に続く。