じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 6/27朝の日の出(6時20分頃撮影)。6/26から黄砂の影響あり。


3月26日(水)

【ちょっと思ったこと】

「千と千尋」のアカデミー賞受賞

 NHKクローズアップ現代「“千と千尋”アカデミー賞受賞」を視た。3/25の日記読み日記では といった感想を述べたところであったが、番組を視ると、日本でヒットしたというだけではアメリカ人は観ようとはしない。いろいろな働きかけや、アメリカ版作成にあたっての苦労があって初めて、映画館まで足を運ばせることができたということがよく分かった。

 番組の最初のほうでは、「自分の声を持たず金(きん)をばらまく」というカオナシの特徴や、「悪人をやっつけてカタルシスを得るというような映画は作りたくない」という宮崎監督の声が紹介されていたが、もっぱらカネを出すだけで解決しようとする日本の姿勢はまさにカオナシ、「悪人をやっつけて」というのはアメリカのイラク攻撃を皮肉っているようにも思えた。

 番組の途中からは、6年前の「もののけ姫」が3カ月130館で打ちきりになった苦い経験を活かし、鈴木敏夫プロジューサーを中心に、宮崎の理解者であるジョン・ラセター監督を介して種々の働きかけが行われたことが紹介された。ディズニー社のほうも、事前のモニター調査で全体の評価は70点未満ながら、大都市や大学生から高い評価を得ているという情報をつかみ、14歳〜30歳をターゲットに宣伝活動を行うなど、さすがアメリカと思われるほど緻密な宣伝活動を行ったという。受賞後は800館での大公開となるという。

 今回の「千と千尋」は、「日本の文化を描いた映画をアメリカでヒットさせた」という評価の声もあるようだが、私が自分で観た限りでは、あの映画の舞台は、中国や韓国っぽい風景も混じっており純日本的というわけではなかったように思う。今後、アメリカ国内でミヤザキ人気が高まり、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」の公開あるいは、また一度失敗したという「もののけ姫」のテレビでの再公開なども行われることになるだろうが、それらの中では、カラコルムハイウェイややオーストラリアのタスマニアの原生林を思い出させるような風景が取り込まれており、いろんな意味で、アメリカナイゼーションを見直すきっかけを与えることになるのではないかと思う。

 宮崎監督は「悪人をやっつけてカタルシスを得る映画ばかり観て育つと...」と言っていたが、ブッシュ大統領などはたぶん、そういう映画ばかり観て育った部類なのだろう。ミヤザキ映画がアメリカの子どもたちや青年に感動を与えることになれば、第二、第三のブッシュは現れなくなるに違いない。
 
【思ったこと】
_30326(水)[教育]大学の活性化と評価〜教員個人評価を中心に〜(2)大学とは何か?

 昨日の日記の続き。N大の前副学長W氏は、まず明治以降の経済が

産業優先→経済優先の単一の価値観(多様な価値観の喪失)→経済繁栄(1980年代)→経済かげり(1990年代)→若者は夢を無くし大人は自信を喪失(社会疲労)

という道をたどってきたこと、この現状解析をふまえ、「なぜ大学が必要なのか」を考えることが個人評価の第一歩であると強調された。

 W氏のご指摘のように、確かに我が国ではこれまで、「大学とは何か?」、「大学に何を期待するか?」といった「そもそも論」が不足しており、目先の現実に流されてきたきらいがある。長年にわたる学歴重視の風潮のなかで、受験生やその親としては、「大学で何を学ぶか」よりも「どういう大学を卒業するか」だけを重視してきたところがあり、大学教員側も、個人やグループで研究を続ける場として大学を利用するだけであって、自分が所属する大学の設立理念まで深く考えてこなかったところがある。

 では、大学の主たる役割はどこにあるのだろうか。W氏は、12世紀に神学校として始まった大学が、その後、科学重視、経済重視というように、それぞれの時代の流れとともに設置目的を変えていった経緯を説明し、そのなかでいま重視されているのは、「知の創造」(研究活動)と「知の継承」(教育活動)、さらには「知の発信」(社会貢献)にあることを強調された。

 これら3点はしばしば耳にする言葉であり何ら新鮮味が無いように思われるが、W氏の主張で特に重要と思われるのは、これらと経済至上的思考が対立関係にあるという点だ、すなわち、人文科学や社会科学の軽視は、科学の使い道を誤った方向に向けるであろうし、今はやりの「独創性」や「先端性」というキーワードで括られるものではないという点だ。要するに
●科学(Science)→物の真理を体系的に研究する→独創性
●科学技術(Technology)→科学の成果を生活に利用するために開発された技術→先端性(競争性)
をしっかりと区別する必要があるということだ。

 もっとも、以上の区別を、「基礎心理学」と、「応用心理学」や「臨床心理学」に当てはめられるかとなるとかなり疑問が出てくる。少なくとも私の場合は「絶対的な真理などありえない。法則は常にニーズに依存しており、むしろそのニーズが何によって強化されているのかを調べることのほうが生産的」という立場をとっているので、全面的には賛成できないところがある。とはいえ、自然科学系、工学系、生命科学系一般において、上記の区別はかなり重要な意味をもってくると思う。次回に続く。