じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _30317(月)[教育]大学教育研究集会/大学教育改革フォーラム(3)「よく解った授業」こそ良い授業か 昨日に引き続いて、午前中に行われた第2回大学研究集会について感想を記していきたいと思う。今回は、2番目の発表に関連して「よくわかる授業」こそ理想の授業なのか、について考えてみたい。 話題提供の内容は、「授業の苦情改善法」や「授業検討会」についての紹介が中心であったが、抄録に記されていた ●授業の評価は、ストレートに「学習者が、よく解ったか(よく学べたか)どうかである」。学習者がよく解ってこそ、良い授業と考えるべきなのである。 という記述がインパクトを与えたのか、討論の時間には私自身を含めて3人から、このことについての質問・意見が出された。 大学の授業に解りやすさを求めるのは当然ではあるが、問題はその中身なのである。例えば小学校レベルでの「解りやすさ」とは、新しく習う内容についてうまく説明ができているかということのほか、学習意欲を高める工夫、自分から問題を発見する力の基礎を養うことを含んでいる。大学予備校ではこれとは違って、とにかく入試の得点を少しでも高めるための技術がどれだけ身につけられるかが「解りやすさ」のすべてとなっている。 では、大学における授業ではどういう「解りやすさ」が求められるのだろうか。たまたま今年の3月に発行された『OU-Voice』(岡山大学教育開発センター広報委員会編集発行)の第5号で「望ましい授業とは」という特集があり、私自身は次のような考えを表明した。要点をまとめると、
学生のレベルや分野によっていろいろ異なるとは思うが、少なくとも大学の単位認定の性格から言えば、「何も準備せず、復習をしなくても、教室にやってくればすべて解る」という授業であるならば、通年で1単位(1コマ90分授業なら2単位)与えれば十分である。また予習・復習を必要としないなら、朝から夕までぎっしりと授業を詰め込み、2〜3年で早期卒業させてしまったほうがよい。 なお念のため言っておくが、ここでいう予習・復習についての指示というのは、大学生ならではの能動的な自学自習のサポートという意味であって、小中学校で課すようなドリルの宿題では決してない。もっとも、今後、少子化の影響で「何を勉強したらよいか解らない」という大学生が増えてきた時には、それこそドリルを与えてでも予習・復習を徹底させたほうが効率的な場合が出てくるかもしれない。さらに続く。 |