じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] 成田〜福岡便(1/6搭乗)の機上からの景色の続き。今回は児島湾。過去の干拓の様子がよくわかる。


2月21日(金)

【ちょっと思ったこと】

公文書の性別記載欄

 鳥取市では21日、新年度から市が交付したり申請を受け付けたりする用紙から、性別記載欄を無くすことを決めた[2/22朝日新聞記事]。性同一性障害(GID)の人に配慮したためであるという。

 記事によれば、同市が扱う各種の交付・申請書類186種類に性別記載欄があり、そのうち110種類は戸籍謄本など法律で記載が義務づけられているため削除できないが、それ以外の印鑑登録証明書、投票所入場券、職員採用試験申込書などは市の判断で変更ができるという。

 今回の措置は性同一性障害への配慮を理由としているようだが、これとは全く別の問題として、明確な必然性が無い限りは性別記載は外すべきであると私は思う。例えば共学の大学の入試では、受験生の性別を事前に知る必要は無い。合格者数を決める資料においても、得点順に並んだリストに性別が付記されていると、予断や偏見が混入する恐れがある(入学手続の段階で男女別の数を把握することは、健康診断の実施やトイレや更衣室などの施設整備のため必要)。このほか、各種公募書類、ユーザー登録なども、不必要に性別記載を義務づけるべきではないと思う。
 
【思ったこと】
_30221(金)[心理]ジェンダー考古学

 一日前の話題になるが、2月20日の昼休みに、考古学のNM氏による「心の考古学 ジェンダー考古学〜考古学の新しい動向」というミニ講演会があった。

 NM氏はまず考古学の主要パラダイムとして、文化史考古学、プロセス考古学(1960年代〜)、ポストプロセス考古学(1980年代〜)を挙げ、さらに、ご自身が取り組んでおられる認知考古学について
  • 人の心の進化を復元する
  • 社会・文化変化の認知的要因を考える
  • 考古学者の認知を考える
という方向をめざしていることを指摘された。

 続いて、ジェンダー考古学の話題。まず、子供向けの本などからで、大昔の暮らしを描いたイラストが何枚か紹介された。例えば竪穴式住居の中で暮らしている親子4人の絵では、母親が朝食の準備、父親は藁のベッドからそろそろ起きあがろうとしているシーンが描かれていた。残業の多いサラリーマン家庭ならばこういうシーンはありふれているかもしれないが、竪穴式の時代がそれと同様であったという証拠はどこにもない。つまり、今の時代の性役割についての固定観念が、大昔の暮らしを描く時に無意識に反映している可能性があるのだ。

 狩りについての固定観念にも注意が必要だ。大型動物と戦う時にはおそらく男性が中心的役割を果たしたに違いない。しかし、小動物の狩りや、魚釣りなどは女性が中心であったかもしれないし、男女別の分担が無かったかもしれない。料理や裁縫が女性の仕事であったかどうかも、最初から決めてかかるわけにはいかない。

 もう1つ、土偶についての面白い考察があった。女性の乳房やお腹をデフォルメした形の土偶は豊穣(豊饒?)を願うためであると受け止められがちであるが、農耕が中心となった弥生時代にはむしろ姿を消している。また、お腹が大きいからといって直ちに妊娠している女性を表しているかどうかは分からない。さらに、頭部が無く首の長い土偶が発見されているが、これは、乳房の部分を睾丸、長い首をペニスに見立てることもできる。あるいは両性具有として描かれていたかもしれない。

 というようなことで、確かに我々は現代の性役割を固定的にとらえ、その色眼鏡をかけたままで大昔を想像しがちであるということが、短時間の講演を拝聴してよく理解できた。




 このほか講演の終わりでは、考古学の研究が、領土拡張の根拠さがしなど、その時代の権力に利用されやすい宿命をもっていることが指摘された。例えば、ナチスドイツは侵略の正当化のために遺跡調査を利用したという。「自省的考古学:誰も自らの社会的コンテクストから逃れられない」、「過去は常に現在において作り出される」であるという。このあたり、心理学の理論やモデルも要請(ニーズ)フリーではない、という点とよく似ているように感じた。

 講演のあと、人類学と考古学の違いについての質問が出された。私自身はこれまで「人類学:人類の進化の歴史をたどる学問」、「考古学:遺跡や出土物が、いつごろ誰によって何のために作られたのかを解明する学問」というように思い込んでいるところがあったが、今回の講演を拝聴すると全く違う内容を含んでいることがよく分かった。考古学はなぜ「古」を「考える」と名付けられたのかを訊いてみようと思ったが、時間がなくなった。ま、尋ねようと思えばいつでも尋ねられることなんだが。