じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] 長谷川家最古のテレビ。アルバムには「昭和37年1月、芳典撮影」と記されていた。番組のタイトルは「二十世紀」だというが、どんな番組だったか全く記憶に無い。この当時のテレビは、電源を入れてからしばらく待たないと画面が現れなかった。チャンネルはダイヤル式。高い建物がなかったので室内アンテナで十分だった。なお、写真の左後方にあるのは足踏み式のミシン。


1月31日(金)

【思ったこと】
_30131(金)[一般]テレビ放送50年

 NHKによれば、テレビ放送が始まったのは1953年の2月1日。今年でちょうど50周年にあたるという。私が生まれたのは1952年10月なので言わば同窓生ということになる。

 もっとも私自身は生まれた時からテレビを視ていたわけではない。幼稚園の頃は、まだテレビはもちろん、電話も冷蔵庫も洗濯機も無かった。社会党(当時)の浅沼委員長が刺殺された時の模様をラジオで聞いたと母親が言っていたことを覚えており、また上の写真は1962年1月撮影となっているので、おそらく1961年頃に家にテレビがやってきたものと推測される。

 テレビ放送が始まった頃はまだまだ貴重品だったので、ごく一部の家庭にしか置かれてなかった。そこでどうしも視たい番組がある時は、近所の家のお世話になる。栃錦、若乃花、朝潮が活躍した大相撲の中継がある時など、しばしば視させてもらったものだ。

 テレビが家に置かれるようになってから特に記憶に残っているのは、「チロリン村とクルミの木」、「怪傑ゾロ」、「宇宙船シリカ」などだった。なかでも「宇宙船シリカ」は最高のお気に入りだったが、どういうわけか最終回を視ていない。塾に通っていたわけでもないし、未だに謎である。

 「ひょっこりひょうたん島」も視るには視たが、放送開始の時には私はすでに12歳になっており、すでに夢中になる年齢を過ぎていた。このほか、岩波映画の「たのしい科学」という短編映画があった。あれを視たおかげで理科が大好きな少年に育った。「少年ケニア」、「狼少年ケン」、「SF劇場」などは、ストーリーはすっかり忘れたが主題歌のメロディだけはしっかり覚えている。




 テレビ50年のメインキャラとして「ひょうたん島」のドン・ガバチョが登場しているが、声優の藤村有弘さんはすでに亡くなられている。私のような世代には、藤村さん以外のガバチョは全く物足りない。他にも亡くなられた声優さんは多い。そんななか、ラジオ時代のヤンボウ・ニンボウ・トンボウのカラス、「チロリン村」のピーナッツのピーコ、さらに「アダブカダブラ」の呪文で小学校上空を飛んだ「魔法のじゅうたん」など数々の子供番組に出演された黒柳徹子さんが今なおご健在というのは恐れ入るばかりだ。あの方ほど長期にわたってテレビで活躍された方は他にはおられないのではないだろうか。

 2/1の記念番組は3倍モード6時間のテープを2〜3本用意して、できるだけ録画しておきたいと思っている。
2/1追記]