じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] サザンカ。この季節に咲く花の中では最も派手ではないかと思う。私個人はこの花はあまり好きではない。こういう季節なのだから、もっと地味に咲けばよいと思う。それと長く咲きすぎる。10年に一度、一輪だけ、しかも一晩だけ咲いたら、さぞかし有難味が増すのではないかと思う。


12月16日(月)

【ちょっと思ったこと】

「みかんのはな」の舞台、「おさるのかごや」のお客、「ゆきやこんこ」の一番の歌詞

 月曜日午後は、例によって学外非常勤講師先へ。行き帰りは車を運転しながらラジオを聴くことにしているのだが、これがけっこう教養になる。



 行きがけに聞いたのは、「みかんの花咲く丘」の歌詞がわずか30分で創られたという話。家に戻ってからネットで調べたところこちらにより詳しい解説があった。なんでも、日本で初めてラジオの二元放送が伊東市で行われた際に、その番組のために昭和21年8月24日の12時半から13時くらいの間に、加藤省吾氏が書き上げ、海沼実氏が伊東行きの電車の中で作曲したということのようである。

 ちなみに、みかんの花というのは、5月頃に咲くらしい。「花咲く」という語感もあって、と春うららの丘が舞台であるようにも思える。実際の作詞・作曲が真夏に行われたというのはまことに興味深い。



 非常勤講師先から帰る時には、今度は「おさるのかごや」の歌が流れてきた。それを聴いて初めて二番以降の歌詞があることがわかった。かごやさんの履き物は「このはのわらじ」、お客は「おしゃれの こんぎつね」だったのだ。それにしても何でおさるが籠をかつがなければならないのだろうか。

 なお、この歌に関する話題はネットでも多数取り上げられていた。替え歌(「さ」をすべて「ほ」や「ち」に替えて歌うなど)が豊富にあったり、お遊戯や集団ゲームに使いやすい歌であるために話題性が豊富なのだろう。



 童謡の歌詞を紹介したサイトをいくつか検索していたところ、おやっ?と思うものがあった。「ゆきやこんこ あられやこんこ」で始まる「ゆき」の一番の歌詞だと思っていたのは実は二番の歌詞だったのである。

 著作権の問題があるかもしれないので、必要最小限の引用にとどめると、本来の一番は
降っては、降ってはずんずん積もる
山も野原も 綿帽子被り
枯れ木 残らず花がさく
であった。これに対して、私が一番だと思い込んでいた二番の歌詞は
降っても、降ってもまだ降りやまぬ
犬は喜び、庭駆け回り
猫はコタツで丸くなる
 こういう思いこみは私だけではなかったようで、妻も同じように思い込んでいたし、複数のサイトにその指摘があった。

 確かに、本来の一番の歌詞は、雪が積もり始めた様子、二番はそれが継続している情景を描写したものだ。だから一番は「降って」、二番が「降って」となるのであろう。

 ではなぜ、二番の歌詞ばかりが有名になったのだろう? 好き勝手に推測してみるに
  • 一番の「ずんずん積もる」という言い方は一般的でない。
  • 一番の「わたぼうしかぶり」は早口でないと歌いにくい。
  • 一番の「枯れ木...花が咲く」というのは「花咲じいさん」を連想させ奇異な感じがする。
  • 二番の「犬は喜び」は、外で飼われている犬の特徴をよく表している。東京生まれの人間は一般に雪が降ると嬉しいものだが、北海道に行って喜んだりすると「雪が降って喜ぶのは、犬とあんただけだ」と言われるとか。「犬と...」は、おそらくこの歌詞に由来しているのであろう。犬が雪を喜ぶかどうかは定かではないが、どんなに寒い時でも散歩に連れ出せば喜ぶので、ペットの特性をよく描写していると思う。
  • 同じく二番の「猫はコタツ」も、犬と対比的に、ペットの特性をよく描写している。もっとも、雪が降ろうと降るまいと、猫は暇さえあれば寝ているものだ。
 このほか、そもそも幼稚園などで二番の歌詞だけが教えられ、我々がそれに刷り込まれてしまったという理由も考えられる。

 なお、過去日記を調べてみたところ、4/23の日記でも「ゆきやこんこ」の歌詞のことを取り上げていたことに気づいた。この時は、「君が代」や「日の丸」の二番の歌詞のほうに注意が向いていたため、あまり気にとめなかった。雪が降る季節でなかったことも、記憶に残らなかった原因ではないかと思う。