じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡大事務局(旧日本軍・連隊司令部)の解体作業(一部は移築保存)が始まった。写真は12/11朝撮影のものであり、12/12には写真に写っている屋根等はすでに撤去されていた。


12月12日(木)

【ちょっと思ったこと】

早朝の散歩よりも通勤時のほうが寒いわけ

 今年の12月は本当に寒い。朝の最低気温は0〜1度前後、日中も一桁台の温度にとどまる。

 面白いのは、最低気温に近い朝の散歩時よりも、8時すぎの出勤時、あるいは19時前後の帰宅時のほうが遙かに寒く感じられることだ。散歩時はオーバーズボンなど防寒の装備は万全、いっぽう出勤時はブレザー、コートという格好なので寒風には弱い。暖かくしようと思えばいくらでも対策がとれるのだが、オーバーズボン着用はやはり格好が悪い。

 今年の寒さは、気象データでもそれは裏付けられているけれど、文学部に限って言えば、今冬からスチーム暖房が完全廃止されたことが大きく影響しているのではないかと思う。昨冬までは、誰もいない部屋でもスチームのパイプの熱でいくらか暖まっていたのだが、今冬は、部屋に入った瞬間は外気と変わらぬ寒さになっている。ストーブやエアコンをつけて、しばらく待って、やっと暖まってくるのだ。その間の寒さが身にしみるこのごろである。
【思ったこと】
_21212(木)[心理]日本ダイバージョナルセラピー協会設立セミナー(5)事前調査と事後評価

 12/1に行われた表記のセミナーの感想の最終回。今回は、

●「assessment(事前調査、審査、生活史や欲求についての調査)」→「planning(計画・設計)→「implementaiotn(実行)」→「valuation(事後評価)」という4段階のシステマティックな反復

というDTの根幹をなすプロセスについて考えを述べたいと思う。

 第一段階のassessment(事前調査)で、セラピストは、対象者(居住者)が
  • 何ができるのかの見定め
  • かつては何をしていたのか
  • 今、何を楽しんでいるのか
  • 現在の環境
  • activityの分析
  • 動作遂行上の問題点(例えば本を読みたいのだが、手が震えているとか、視力が衰えているといった問題点の把握)
などを詳細に行う。といっても、対象者の多くは痴呆高齢者であるため、言葉だけで把握することは難しい。それゆえ、DTの養成では、さまざまなコミュニケーションスキル(ボディランゲージ、顔の表情変化の読みとりなど)を磨くことが重視される。

 次のplanning(計画・設計)では、
  • ゴールや期待される成果の記述
  • ゴール達成のための介在(intervention)の計画
  • 週ごとのスケジュール
が詳細に記録される。そして、個性重視、かつ多面的なimplementaiotn(実行)がなされる。

 そして、それぞれの区切りごとに、プログラムの有効性や欠点について全人的な視点からvaluation(事後評価)がなされる。そこでは
  • 自己に対する尊厳(self esteem)の回復
  • 人生への付加価値
  • ゆううつな状況を軽減
  • 全般的な健康促進
ばかりでなく、スタッフと居住者との間の望ましい関係や、スタッフの業務への充足感の促進なども期待されている。




 DTが実際にやっていることを断片的に見学しただけでは、施設がサービスとして行う年中行事や、外部からの慰問などとあまり変わらないように見える。しかし、「他施設で評判がよかったので私のところでもやってみました」というだけでは、DTには全くなっていないことは明らかであろう。例えばクリスマスパーティを企画しても、一個人がそれにどう関わり、どう楽しみ、それによってどう変わったのかが事後評価されなければ、やりっぱなしに終わってしまうわけだ。

 現実にはスタッフの限界もあるし、全人的と言っても対象者のプライバシーの問題もあるだろうから理想通りにはいかないとは思う。しかし、入所者(居住者)個々人のアクティビティの質を高めていくという精神は守っていかなければならない。繰り返し言うが、問題行動が起こっていないという状況だけでは、墓場と何ら変わらない。かつて楽しんでいたことに興味を示さなくなったのは、「興味」という物質が頭のなかから抜け出したためではない。興味があっても、働きかけがうまく強化されないために消去されてしまったと考えるべきである。

 どんなに衰えても、どんなに痴呆が進んでも、能動的な働きかけを活発に保ち、かつそれらに対して最大限に応えられる環境作りをめざすことが求められる。




 以上5回にわたり、設立記念セミナーの感想を述べてきたが、何よりも特筆すべきなのは、100人を超える参加者があったということだろう。この種のセラピーは、現場に関わる人がいかに参加できるかという観点から輪を広げていくことが大切である。大学の研究者が研究会や学会を設立していくら論文を発表したところで、現場とのコラボレーションが無ければ何の役にも立たない。まずは、現場に関わる人たちの能動的なネットワークが構築され、必要に応じて研究者がアドバイスさせていただくという方式のほうが普及が早いように思った。これは、地域のコミュニティを主体とする地域通貨の活動、人間と自然との共生を考える活動についても言えることだ。今回のセミナーは、学問と実践との連携を考える上でも大いに参考になった。




 いっぱんに、あるツールが現場で有効に機能するかどうかを実証する際、研究者はまず先行研究にあたり、いくつかの仮説を立て、人工的な環境(実験室など)を使ってこれを検証しようとするだろう。そして、そのツールを導入した条件のもとで測定された諸指標が、導入しない対照条件よりも有意に望ましい方向に変化した時には、有効であったと宣言するのである。

 しかし、それを検証する場が人工的な環境であればあるほど現場からは乖離する。いくら理論的に有効であると検証されても、現場の多様なファクターにマッチしなければ実用的価値は無い。

 これに対して、理論的枠組みは漠然としていても、とにかく現場で導入し、種々の試行錯誤を重ねながら実践を続けていく限りにおいては、現場との乖離はあり得ない。新薬のように人の命に関わる問題であるなら事前の試験が必要であろうが、ある程度失敗が許される現場であるならば、「いろいろやってみる」こともそれなりの価値がある。そのさい、多様性を許容した複数の団体が相互に体験を交流していけば、不適な方法は淘汰され結果的に最適な方法が確立していくだろう。要は、「これが正しい」という固定観念に縛られないこと、また、常に、「これでよいのだろうか」「もっとよい方法はないか」という、クリティカルで前向きな姿勢で臨むということだろう。

 このように考えてみると、少なくとも福祉やセラピーの現場においては、初めに「基礎的研究が必要」という姿勢はかならずしも正しくない。極言すれば、基礎的研究によって「このセラピーは有効かどうか」が二者択一的に実証されるなどということはあり得ないと思う。基礎的学問が役立つのは、実践場面における点検や改善のツールとしてのみであるかもしれない。