じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 12/1に大徳寺を訪れた時の写真の続き。たまたま通りかかった黄梅院の紅葉が、境内の中では最も美しかったが、残念ながら拝観謝絶の看板がかかっていた。ちなみに大徳寺の拝観寺院は、いつも同じではない。この黄梅院のほか、興臨院、三玄院などは、拝観を許可していた時代があったはずだ。このほか、春秋に特別公開される寺院もある。





12月5日(木)

【ちょっと思ったこと】

疲労蓄積で寝坊する/忘年会は面倒だ

 毎朝5時半頃に起きているが、12/6の朝は、目が覚めたら6時20分になっていた。木曜日の1コマ目の行動科学概論(分担授業)を今週から1月末まで担当することになり、午後に行われるゼミと重なって疲労が蓄積したのではないかと思われる。

 そういえば再来週12/19には、1コマ目に上記授業を担当したあと、14時から19時頃までは卒論の事前発表会が開かれることになっている。それだけならいいのだが、そのあと20時から22時までは駅前まででかけていって教室の忘年会に参加しなければならない。宴会がストレス解消になるという人もいるだろうが、私はアルコールがあまり好きではないし、周囲に合わせてぺちゃくちゃやるのは時間の無駄、その上、22時終了ということでは規則的な生活に乱れが生じ、翌日まで疲れを持ち越すことになる。

 その前日、12/18にも文学部教職員の忘年会が予定されているが、こちらのほうは案内をもらった当日に即座に断った。私は教授会や委員会では発言数が多いけれど、人付き合いはきわめて悪い。要するに公式の場では言いただけ言うが、非公式の場でそれを補うようなことはまっぴら。会議が終わったらもはや他人どうし。少しでも自分の時間を確保したいという気持ちが強い。ま、こういう人間はカイシャには向いていないんでしょうなあ。
【思ったこと】
_21205(木)[心理]授業と卒論・修論指導について考える(4)「望ましい授業とは?」

 10月17日以降、この連載の続きを書いていなかったが、学内広報誌に「望ましい授業とは?」というタイトルで寄稿を依頼されたので、これを機会に、これまで書いたことを含めて自分の考え手をまとめてみたいと思う。

 「望ましい授業とは」に関しては、立場上、全学のFD専門委員会が授業の質の向上のために何をやっているかを書くのが私の役目かと思うが、その前にぜひとも強調しておきたいことがある。それは、大学の授業は、

【1】教員が教室等で授業を行う時間
【2】学生が事前・事後に教室外において準備学習・復習を行う時間(おおむね【1】の1.5倍の時間)

の両方に基づいて構成されていること、つまり、望ましい授業とは、【1】と【2】をセットにして初めて可能になるという点だ。したがって、どんな名講義であっても、学生の予復習を前提とせずに単位が与えられたとしたら、それは欠陥授業ということになる。

 ちなみに、この基準は、「21世紀の大学像と今後の改革方策について ―競争的環境の中で個性が輝く大学―」という、大学審議会(当時)の答申の中で強調されており、その基準があればこそ履修科目登録の上限設定が行われ、さらには大学教育の質が保証されるのである。

 岡大では各セメスターの終わりに、全授業科目について授業評価アンケートが実施されている、このアンケートは、

●あなたはこの科目の受講において、常に意欲的に取り組む努力をしたと思いますか。

から始められている。授業評価なのになんで自分の態度を訊かれているのかとを訝しく思った学生もあるかもしれないが、この質問こそ、まさに、授業が【1】と【2】で構成されていることの表れなのである。昨今では、町中でも、料理の質やサービスについて毎回のようにアンケートを実施しているレストランがあるが、授業評価アンケートがそれらと本質的に異なるのは、「単なるお客さんではない」ということなのだ。レストランのお客はただ座っているだけ、嫌いなものは食べなくてもよい。金さえ払えば、途中で退出しても文句は言われない。

 このことでもう1つ言いたいのは、受講生には、毎回授業に出席する義務があるということ、また、教員は、毎回厳格に出席をとる義務があり、かつ、小テストを実施したり、授業中に口頭で解答させるなどの方法により、授業を真剣に受けた者を正当に成績評価に反映させる義務があるということだ。学期末の試験のみでなく、学生の授業への出席状況や宿題への対応状況,日常の学生の授業への取組みや成果を考慮して多元的に成績評価を行うべきであることは、上述の大学審議会答申にもうたわれている。 繰り返し言うが、授業への出席は任意ではなく義務である。気が向いた時に訪れるレストランとは違う。

 以上2点をふまえるならば、予復習を前提として行われることと、毎回の聴講の努力が的確に評価されることは、望ましい授業の必要条件となる。これらが適切に行われず、出席することが報われない授業があったなら、自由記述アンケートでどしどし指摘してもらいたい。毎日の貴重な時間を有効に使うためにも、いわゆる楽勝科目などは断じて駆逐していかなければならないと思う。

 望ましい授業にはさらに重要な必要条件がある。それは、その授業が何を目的に行われているのか、それを受けることによって受講生は何が達成されるのかが明確であるという点だ。かつて、大学の授業内容は、「学問の自由」の取り違えにより、各教員の自由裁量により実施されていた時があった。しかし今や、 時代の変化や社会の要請に対応した教育が大学に強く求められている。 教員の学術的関心のみから展開するものではないという点を特に強く指摘しておきたい。

 そのためには、教員が個別に担当する個々の授業のみならず、カリキュラム全体についての明確な目標、それを達成するための体系性が求められている。現在の授業評価アンケートはもっぱらティーチング評価にかかわる内容となっているが、近い将来には、その科目がカリキュラム全体の中で適切に機能しているかどうかについての「コース評価」も求められるようになるだろう。またそれが明示されることによってこそ、目標への方向の一致と具体的な達成の度合いのフィードバックが可能となり、学ぶ意欲が生まれてくるのである。

 なお、授業の目的やカリキュラムとの連関はシラバスに詳細に明記されなければならない。現在、岡大のシラバスは学部によって、冊子体になっていたり、CD-ROMとして配布されているなどマチマチになっている。冊子型の場合は印刷の都合上A4サイズ1枚に収めることが求められているが、そのスペースでは、上記の内容を詳細に記すことができない。近い将来には、シラバスを全学でWeb公開すること、また、それを可能にするために、学生が自由にネットにアクセスできる環境を整備することが必要になっている。




 と、ここまで書いてみたが、肝心なことを忘れていた。このほかにも、教員相互の授業参観(あるいは公開授業)、各種研修会についても書かなければならないのだが、求められている原稿はなっなんと1000字以内だったのだ。毎日Web日記を書いていることもあって、長い文章を書くのはいっこうに苦にならないが、短いのは非常に困る。さて、どうやって縮めようか...。