じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 農学部前の楷の木(写真左)が燃えるような鮮やかな紅葉を見せている。もっとも、すでに落葉が始まっており、1日ごとに異なった姿を見せる(写真は11/18朝撮影)。今週末まで保つかどうか分からない。右の写真は先日、県外某所で撮影したもので、アメリカフウのようにも見えるが確認できなかった。撮影場所が分かる方はスゴイ!





11月19日(火)

【ちょっと思ったこと】

早朝の掃き掃除

 毎朝6時前に散歩していると、まだ暗いうちから歩道など公共の場所の掃き掃除をしているお年寄りのグループに出会うことがある。全くのボランティアなのか、宗教団体の早起き活動の一環なのか分からないが、とにかく頭が下がる。

 この時間帯には、他に、犬を連れて散歩している人やジョギングをしている人にも出会うが、私自身の散歩を含めて基本的には、自分を利するための行為にすぎない。掃き掃除をしている人たちも、あるいは自分の健康のためか、功徳を積むためなのかもしれないが、結果的に街の中がきれいになり、周りの人を幸せにしていることは間違いない。

 では、もし私自身がアパートの前の道路の掃き掃除を始めたらどんな気分になるだろうか。落ち葉のように自然現象で散らかってくるものは気持ちよく掃きとることができるだろうが、実際にはむしろ、タバコの吸い殻や、中高生が投げ捨てた飲食物のパックを拾い集めることになる。街をきれいにすることは変わりないとしても、捨てた人たちに対する怒りのほうが先行して、精神衛生上よろしくない事態に陥ると思う。

 学校教育の中で奉仕活動を重視する動きがあるけれども、落ち葉をかき集めたり雑草を抜き取る作業と、一部の不心得者の尻ぬぐいをする形で投げ捨てたゴミを拾い集める作業は厳密に区別したほうがよいのではないかと思ってみたりする。後者のゴミはすぐに回収・処分せず、(カラスにつつかれないような厚手の)透明の袋につめたまま人通りの多い場所に吊し、「恥を知れ!」などと大書した看板とともに晒しておけば、いくらか啓発になるのではないかと思う。大学構内でも同じ措置が必要なんだが、あまりゴミが多いと大学自体の恥になってしまうのが辛いところだろう。
【思ったこと】
_21119(火)[日記]Web日記を書くことはできるが、語ることはできない、といいつつ語ったりして

 さいきん、複数のWeb日記の中でウェブログが話題になっている。私個人は、つい最近までウェブログなどという言葉は知らなかった。たまたま、某MLで私自身がじぶんの日記を引用したところ、ある著名な方から「なるほど、日本でもウェブログが使われていたのですね。しかも1997年からというのには驚いてしまいました。」という御発言をいただき、初めてそういうものがあったということを知った次第である。

 その御発言に対しては、「ウェブログという概念が日本にあったかどうかは知りませんが、Web日記でしたら、もっと古くから執筆を開始した人もあり、また日記猿人(現、日記サイト)など複数のリンク集があり、日記サイトだけで15000を越えるWeb日記が登録されています」とお答えしておいた。

 もっとも、私はべつに、自分がWeb日記の物知りだと思っているわけではない。そもそも、いまの時代、誰一人として、Web日記の全貌を内容に立ち入って論じることなどできるわけがないと思う。前にも書いたことがあるが、仮に1つの日記を1分で読むとしても1時間に60編、10時間に600編を読むのがやっとであろう。こちらの資料にもあるように、Web日記は、日記才人登録日記だけで実質15500、24時間以内には1000超、48時間以内には1500超の日記の更新報告が出されているから、一人の人間がそのすべてを読破することは到底できっこない。ロボットで収集すればおそらくすべてのデータをかき集めることはできるだろうが、そこで把握できるのは、どういう単語が頻出しているか、何が話題にされているか程度の表層的なものにすぎない。

 この時期になると、Web日記をテーマに卒論を書く学生がアンケートを送ってくることがある。また、ごくまれに、新聞社からインタビューを受けることもある。しかし、お互い更新日記にも書いたように、それらはたいがい、Web日記について自分に都合のよい基準を設けて、それに合致する対象日記を勝手に絞り込んだ上で、「机の中にしまっておく日記をなぜWeb公開するのか」などと、、既存の「書く日記」の固定観念にとらわれて論を立てているにすぎない。上にも述べたように、すべての日記を読めない以上、Web日記を内容に基づいて定義することは困難。できるのは、形の上の区別、たとえば「一定以上の頻度で日付をつけて更新される個人サイト」程度の定義だろう。




 ここからは個人的な話になるが、私自身は、日記を書く時間は一日1時間程度、他者の日記を読む時間は30分程度にとどめることに決めている。とうぜん読む日記数は限られてくるわけで、マイニッキサイトの中から一行コメントの面白そうな日記を10〜30編程度を読むのが精一杯だ。ちなみに私がマイニッキサイトに登録している日記数は、11/19の時点で278編。ただし、滅多に更新されない日記や実質休眠状態の日記もあり、マイニッキリストに表示されている日記数は、11/19朝の時点で92、またそのなかで24時間以内に更新報告があったものは60にすぎない。日記才人に登録していないWeb日記も5編ほどブックマークに入れているが、いずれにせよ、それが、私とWeb日記との唯一の関わりである。ウェブログがどういうものであれ、私は、毎日の限られた時間をこれ以上ネットに費やそうとは思っていない(←教育活動のための利用は除く)。あくまで現実世界にしっかりと根をおろし、現実との関わりを第一に生活していきたいと思っている。

 Web日記はあくまで素人が書くものだ。それぞれの悲喜こもごもの生活があり、それらと関連づけながら、世の中の出来事について意見が表明される。つまり、時間の流れの中で連関しながら、線あるいは面として読むことができるから面白いのである。これに対して新聞のコラムなどは執筆者の生活が全く伝わってこない。いくら論理的であるように見えても、その場しのぎのつじつま合わせかもしれないし、きれい事を並べた事なかれ主義におわっているかもしれない。こういうものは、線や面ではなく、点あるいはスポットにすぎない。このあたりに、Web日記と歴然とした差があるように思う。

 以上、思いつくままに書いてみたが、時間がなくなってきた。いずれこの続編を書く予定。