じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 農学部農場のケヤキ。今年は特に黄葉が美しい。





11月15日(金)

【ちょっと思ったこと】

墓参り同窓会

 中学の同窓会MLから墓参りの案内が来た。故人2名を偲ぶという企画のようだが、うち1名については亡くなっていたことを知らなかった。同窓生と言えば、今年の1月に、けっこう名の知られた女性教授の訃報があった。ほかに、だいぶ若い頃に亡くなった方が2名あり、180数名のうち少なくとも5名はすでに故人となっていることが分かる。50代に入り、いっぽうでは政界や学界での華々しい活躍が伝えられる半面、これからはこうした案内もたびたび来ることになるのだろう。

 そういえば、この週末には妻が同窓会の集まりに出席するという。夕食後の夫婦の散歩の時に、同窓生と会ってどんな話をするのかと訊いたところ、ただ「あのころは〜だった」と昔を懐かしむのだという。夫のことを話すのかというと「誰がそんなことしゃべるもんですか。卒業後の生活のことは何も言わないというのが暗黙の約束事になっているのよ」だそうだ。「そうかなあ、同窓会というのは、卒業後の何十年かの生活をお互いに総括し、成功体験や失敗体験を共有して今後に活かすための集まりではないのかなあ」などと言ってみたが、確かにそんな集まりでは誰も参加しないに違いない。

 余談だが、数日前、大学の同窓会から会報と、会費の請求書が送られてきた。私は会費など一度たりとも払っていないので、滞納額が32000円と記されていた。こういうものって、請求書を見てしまうと時効が成立しないのだろうか。同窓会大先輩の中には、長々と支部の会合の報告文を書くことを唯一の生きがいにしているような方もおられるようだが、はっきりいって、私は、大学の同窓会には何の魅力も感じない。といって会報の封を開けずに送り返すのも目立つ。ま、このまま知らん顔をしておこう。




妻の思いやり行動に感動する

 夕食後の夫婦の散歩時に近くのスーパーに行った。駐車場を通ったとき、10数台の自転車が突然、大きな音をたてて一斉に倒れた。若い女性が自転車の隙間に止めようとして隣の自転車を倒してしまったためのようだ。

 そうか、これが将棋倒しなのかと思いつつ知らん顔をして通り過ぎようとしたら、なっなんと、妻がかけよって一台ずつ起こし始めた。近くにいた若い男性もこれに参加する。私もこの感動的なシーンに目覚めて、自転車起こしに加わった。それにしても、真っ先にかけよった妻の行動は見上げたものである。知らん顔をして通り過ぎようとした自分が恥ずかしくなった。




吉備線

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1904年の11月14日は、吉備線が開通した日であるという。時たまこの番組を視ているが、すぐ近くにある見慣れた景色が映し出されると異様な感じがするもんだ。

 番組によれば、吉備線は、もともと、高梁川の水運による物資を岡山まで運ぶ目的で、民営の「中国鉄道」が、船着き場のあった湛井(たたい)と岡山の間に敷設したものである。その後、伯備線の開通によって高梁川の水運が衰退したため湛井駅は廃止され、現在の総社〜岡山間20.4kmが残った。途中の備中一宮駅は開業当時の駅舎があり、屋根瓦には「中国鉄道」の銘が刻まれているという。

 岡山県内には、各種のローカル線があるが、じつは私自身は、生まれてこのかた、この吉備線を初め、津山線(但し、法界院〜岡山間を除く)、伯備線には全く乗ったことがない。自家用車で事足りるからである。番組では吉備線沿線の観光名所がいろいろ紹介されていたが、実際に、駅から歩いて行かれるのは吉備津彦神社ぐらいではなかろうか。桃太郎伝説の由来とも言われる鬼ノ城など、徒歩では一日がかりのハイキングになってしまうはずだ。

 吉備線自体は、朝夕に渋滞の多い岡山市内にあっては、通勤客の足として十分な役割を果たしていると思う。また、真偽のほどは定かではないが、ああいう線は、山陽本線で事故が起こった時の迂回路になるため、決して廃線にはならないと聞いたことがある。