じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] レオノチス。1999年11月11日の日記に、「昨年、鉢花として買ってきた花だが種名を忘れてしまった。トーテムポールに似ているように見える。」という記載がある。その後「レオノチス」という名前であることが分かった。今年で4年目となるが、タネで増えることは無さそう。





10月28日(月)

【思ったこと】
_21028(月)[一般]「輝いていますか “男ざかり 女ざかり”」と50代の人生

 学外非常勤講師先から大学に戻る時は、高速道路を通りながら、たいがいNHKラジオを聞いている。この日は、

ラジオほっとタイム<いきいきほっとライン>「輝いていますか “男ざかり 女ざかり”」のシリーズ1回目「男ざかり、女ざかり」って?

というのをやっていた。

 シリーズ1回目のゲストは、歌手のばんばひろふみさん。ネットで検索したところ、ばんばさん(本名 馬場弘文氏)は1950年2月20日の生まれで今年52歳、「いちご白書をもう一度」や「SACHIKO」のビッグヒットのほか、深夜放送の名パーソナリティとしても有名。一部、受信状態が悪くて聞き逃したが、「男ざかり 女ざかり」についてのご意見、50代になってからの人生観、奥さんのことなどが語られていた。上掲の公認サイトを見れば分かるように、50歳になったところで、髪を金髪に染めたという。染めるほどの髪が無い人はスキンヘッドでもよい。何か外見を変えて新たな気分になってみるのも悪くなさそうだ(←私自身は、白髪で勝手に染まっている)。

 じつは、かく言う私も、10月某日にとうとう50歳を迎えてしまった。2年先輩のばんばさんの言葉に納得てきる点が多かったのも同じ世代だからかもしれない。それは、諦めというほど消極的なものでもないし、今頑張らないと一生がダメになるというような悲壮感あふれたものでもない。ほどほどの達成感と自信を土台にして

ここまでのところ、とりあえずやれることはやった。これから先、多少の失敗があっても、トータルで悔いることはない。

という気楽さから、ダメでもともと、ちょっぴり新しいことにもチャレンジしてみようかというのが率直な心境である。




 思い返してみると、
  • 20代に入った時は、そもそも大学院に行かれるかどうか、行かれても研究者になれるかどうかという大きな不安があった。
  • 30代に入った時は、オーバードクターのまっ最中であり、いつ就職できるのかという不安があった。
  • 40代に入った時は、子育てのほうに関心が向いており、自分のことを顧みる機会があまりなかった。
といったところだろうか。50代がそれらに比べて「輝いている」かどうかは分からない。だいたい、本当に輝いている人は、そんなことは意識しないし話題にもしない。番組のタイトルには、「ホット」、「いきいき」、「輝く」、「さかり」というように表向きはやたらポジティブで積極的な言葉がやたら並んでいるが、それに惹かれて集まってくる人たちというのは、なにがしか衰えや不安を感じていて、「いやそんなことはないぞ、まだまだこれからだ」と言い聞かせるつもりでこういう言葉を好むのかもしれない。




 50代のうちにこれだけは成し遂げたいというような大きな個人目標はない。個人目標は無いけれど、例えば大学の管理運営に参加していれば、大学自体の中期目標、長期目標を達成するための努力というのは個人に求められてくる。学会(今のところ積極的に関与しているのは行動分析学会と人間植物関係学会)の場合でも、それに加わることで何らかの中長期的発展に寄与することができる。個人目標は自分が朽ち果てればそれで終わりだが、教育や研究上の目標はバトンタッチができる。名を残すことかどうかはどうでもよい。そういうことに関与し、日々全力投球すること自体が生きがいの1つとなるのである。

 研究面では、引き続き、できるだけ対象分野を広げて、行動随伴性による理解の可能性を探っていきたいと思う。対象を細分化し特定の要因の働きばかりに目を向けるような研究からは、はっきり言って何の成果も期待できない。そういうことで人生を棒に振るのはまっぴらだ。いま求められるのは、システム全体の連関、その中で、関係を前提として存在する「個」のあり方を探ることである。

 個人的な長期目標は持たないと言ったが、短期的には、海外の山登りツアーに参加することを目ざして、日常の健康管理と体力維持をはかっていきたいと思っている。ただダラダラと、成人病予防のために散歩するだけでは楽しくない。「○月○日に○○山に登る」というような具体的計画があれば、そこでへたばらないために何が何でもトレーニングをしなければという気になる。要するに「〜しなければ、〜を失う」という阻止随伴性による自己管理である。もちろん、いずれは山には登れなくなるだろうが、特に健康を害さなければ、まだまだ高所には行かれる。高所が無理になった時には、今度は、僻地ツアーがある。70歳ぐらいまではこれで満たせるのではないかと思っている。

 余談だが、帰り際、岡山IC近くの100円ショップで老眼鏡を買った。これまではもっぱら度数1.5を使っていたのだが、今回はとうとう2.0に変えてみた。透明ケースにも「50歳以上」と書いてあった。体力はまだまだ、ここ数年以上、風邪で寝込んだことが一度も無いほど健康面にも自信があるのだが、残念ながら、老眼の進行ばかりはくい止めることができない。